、午前三時半までいた。それから頃合よしというのであの犯行が始まった。――」
「それにしても午前四時近くの犯行は、すこし遅すぎますよ」
「なあに、一平が脅迫状に寒い日にやっつけると書いた。一日のうちでも一番寒い時刻というのは午前四時ごろだ。で、合っているよ」
「えらいことを課長さんは御存知ですね、一日のうちで午前四時近くが、一番気温が低いなんて。それはそれとして、僕にはどうもぴったりしませんね。もう一つ気になるのは、ドーンとピストルが鳴ってから犯人が逃げだすまでの時間が、十分間ちかくもありましたが、これは犯罪をやった者の行動としては、すこし機敏を欠いていると思うです。タップリみても三分間あれば充分の筈です。しかも犯人は十分もかかりながら遽《あわ》てくさってライターを落とし、おみねさんは胡麻化《ごまか》すにことかいて、ゆかりの寝床を直すことさえ気がつかなかった。これから見ても両人は余程あわてていたんです。計画的な殺人なら、なにもそんなに泡を食う筈はないのです」
「うむ、すると君の結論は、どうなのだ」
「僕にはまだ結論が出ません」と帆村は首をふって言った。
「だが、この事件を解くにはもっと沢山の関係者がでてこないかぎり、三次方程式の答えを、たった二つの方程式から求めるのと同じに、不可能のことです」
「ほほう、すると、君は、ゆかりのことなんかも怪しいと見るかね」
 そこへドタドタと跫音がして、さっきの警官外山が上ってきた。
「課長どの、唯今、女給のゆかりが、こっそり帰ってきたのを、ここへひっぱりあげて参りました」
「なに、ゆかりというナンバー・ワンが……」
 ふりかえって見ると、その階段の上り口に高価な毛皮の外套を着た、ちょっとみると、入江たか子のような洋装の娘が立っていた。
「おお、ゆかりさんか、ちょっとこっちへ来て下さい」
 物馴れた大江山警部は、こともなげに、彼女をさしまねいたのだった。
「あなた、昨夜、何時ころから出て、どこへ行ってました、叱るわけじゃないから、ドンドン言ってください」
「あたし、あのウなんですノ、昨夜は、ちょっと外泊したんですが……」と、彼女は行末を契《ちぎ》ったNという青年と、多摩川の岸にあるH風呂へ泊りに行ったことを、真直ぐに告白した。そうして、午前五時近く暁の露を吹きとばしながら自動車で此処まで帰ってきたのだと言った。
(ウン、もう夜明けだ)
 帆村は、いつしか白く明るい光線が忍びこんで来た室内を、もの珍しそうに眺めまわしたのだった。
「あなたに、ちょいと見て貰いたいものがあるんだが、このピストルと、ライターに見覚えが無いですか」と大江山警部がいった。
「このピストルですね、オヤジを射ったのは。さあ、見覚えがありませんね。こっちのライターは……おや、これは、あの人のだ」そう言って、彼女はライターをキュッと掌のうちに握ると、言おうか言うまいかと思案をするような眼付をして、課長の顔をチラリと見た。
「おみねさんが教えてくれたんだがね」
「まあ、もう白状しちゃったんですか。そいじゃ私が言うまでも、これは銀さんのよ」
「なに、銀さん」警部はキュッと口を結んだ。
「銀さんって誰のことかい」
「おや、マダムは銀さんのだと言わなかったの、まァ悪いことをした。でも、こうなったらしょうがないわ、銀さんッて、マダムのいい人よ、木村銀太といって、ゲリー・クーパーみたいな、のっぽさんよ」
「一平と、その銀太君とは、どっちが背が高いんですか」と、横合から帆村がきいた。
「それはね」と、ゆかりは、新手の質問者の方を見てちょっと顔を赤くして言った。
「どっちもどっちののっぽですわ」
「銀太というのは、ここへもちょくちょく忍んで来るだろうね」大江山警部は訊いた。
「私が、いいだし[#「だし」に傍点]につかわれてるのよ」そう言って彼女は寝床の一つを指して鼻の先でフフンと笑った。
「いやその位で、ありがとう」
 警部は外山に、彼女を下げるように目交せした。二人は又元の階段をトコトコと降りていった。
「いよいよ足りなかった最後の方程式がみつかったようだね、帆村君」
「そうですね」
「おみねと、その情夫の木村銀太との共謀なんだ。さっき一平が寝ていたと思ったのはあれは銀太なんだ。君が見た人影ってのもネ、ありゃ銀太なんだよ。こうなるとピストルも誰のものだか判ったもんじゃないよ。一平からピストルを盗むことだって出来る」
「僕はそうは思いませんね。今の話で、おみねと、こっちの寝床に忍びこんでいた情夫の銀太とが犯行に関係のないということが判ったんです」
「そりゃまた、どうして」警部は聞きかえした。
「おみねと銀太が一緒に寝ているところに、思いがけなくあのピストルの音がしたので、二人は吃驚《びっくり》して遽《あわ》てだしたのですよ。銀太が居てはかかり合い
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