す。例えば、中毒症といったようなものがです」
「そうです、そうです」医師はしきりに同感の意を表して云った。
「そう仰有《おっしゃ》れば申上げてしまいますが、実はこの金さんはモルヒネ剤《ざい》の中毒患者ですよ」
「ほほう、貴方のところへ、治療を求めに参りましたか」
「そうなんです。実はこの四五日この方《かた》ですがネ」
「今日も御覧になりましたか」
「今朝|診《み》ましたよ。大分ひどいのです。普通人の極量《きょくりょう》の四倍ぐらいやらないと利かないのですからネ」
「四倍ですか、成程。――」
帆村はケースから一本の巻煙草を引張りだすと、カチリとライターで火をつけた。そしてそれっきり黙りこくって、ただ無闇に紫の煙を吹いた。それは彼がなにか大いに考えるべきものに突き当ったときの習慣だった。
そのとき、大通りの方から、けたたましい自動車の警笛《けいてき》が入り乱れて聞えてきた。それはアパートの前まで来ると、どうやら停った様子だった。間もなく階段をのぼるドヤドヤという物音がして、この事件を聞きつたえた警視庁の係官や判検事の一行が到着したのだった。
「やあー」
「やあ、先程はお報《しら》せを……」
大江山捜査課長は、この事件を帆村から報せて貰《もら》ったことに礼を述べた。
「ときにどうです、被害者の容態は」
「間もなく絶命《ぜつめい》しましたよ。とうとう一言も口を利きませんでした。……午前零時三十五分でしたがネ」
「ほほう、そうですか。これが金という男ですか。やあ、これはひどい」
「現場《げんじょう》はすべて事件直後のとおりにしてありますから」
「いや有難う」
係官たちは、現場がすこしも荒されずに保存されたことについて、帆村に感謝したのだった。帆村は私を促《うなが》して、別室へ移った。これは係官の調べを済ます間、邪魔をしないためだった。
同じような部屋割りの隣室《りんしつ》だった、椅子もないので、私達はベッドの上に腰を下した。ここに暫《しばら》くの時間があるが、この間に帆村とうまく連絡を取っておかねばならない。
「どうだ、犯人は何か喋《しゃべ》ったかい」
と、帆村がホープに火を点《つ》けるのを待って尋ねてみた。
「いや君、あの男はまだ犯人とは決っていないよ」
「だってあの男は、事件の室から出て来たのだろう。そして薄刃《うすば》の短刀をもって君に切り懸ったのじゃないか」
「うん、だがあの短刀にはまだ一滴の血もついていないのだ」
「すると、あの袋入の砲丸でやっつけたのだろう。あの大きな男にはやれそうな手段じゃないか」
「それもまだ解らない」
「君はあの男に、まだそれを訊《き》いてみないのかい」
「うん、あの男とは其《そ》の後《ご》一《ひ》と言《こと》も口を利いていないんだ」
犯人と思われるあの男に、まだ一言半句の訊問《じんもん》もしてないという帆村の言葉に、私は驚いてしまった。
「じゃ今まで君は、一体何をしていたのかネ」
「金の部屋について調べていたのだ」
「そして何を掴《つか》んだのかい」
「いろいろと面白いものを掴んだ。しかし短刀をもった男を犯人と決めるに十分な証拠はまだ集まらない」
「というと、どんなものを」
帆村は嚥《の》みこんだ煙を、喉の奥でコロコロまわしているようだったが、やがて細い煙の糸にして静かに口から吐きだした。それは彼が何か解《と》き難《がた》い謎を発見し、解く前の楽しさに酔っているような場合に限って、必ずやって見せる一つの芸当《げいとう》だった。
「あの部屋で面白いことを見つけたがネ」と帆村はボツボツ語りだした。「それはゴールデン・バットについてなのだ。君はあすこの床の上に、バットがバラバラ滾《こぼ》れているのに気がつかなかったかい」
「そういえば、五六本、転《ころ》がっているようだネ」
「五六本じゃないよ。本当は皆で三十二本もあるんだ。といってこれが、五十本も入るシガレット・ケースから転げ出したのじゃないのだよ。そんなケースなんて一つもあの部屋には無いのだ。あるのはバットの、あのお馴染《なじみ》の空箱《からばこ》だけだった。空箱の数はみんなで四個あったがネ」
「ほほう」
「それからもっと面白いことがある。あの部屋には灰皿が三つもあるんだが、さて其《そ》の灰皿の中に大変な特徴がある」
「というと……」
「灰皿の中に、燐寸《マッチ》の軸と煙草の灰が入っているのに不思議はないが、もう一つ必ず有りそうでいてあの灰皿には見当らないものがあるのだ」と帆村は云ってちょっと口を噤《つぐ》んだ。
「それは何かというと吸殻《すいがら》が一つも転っていないのだ。灰の分量から考えると、すくなくとも十五六個の吸殻《すいがら》がある筈と思うのだが、一個も見当らないのだ。これは大変面白いことだ」
私には何のことだか見当がつかなかっ
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