つのもくねじであるが、日本に生まれた以上、やっぱり日本精神を持っている。だからぼくの折角《せっかく》のこの幸運も、自ら省《かえり》みて、いささか暗い蔭のさしていることが否《いな》めない。
それでもいいのであろうか。
声をたてるわけにもいかないので、ぼくはだまってそのまま成行《なりゆき》にまかせるより外《ほか》なかった。不幸なる幸福! 少々うしろめたい幸運!
果してぼくは、いつまでも幸福でいられるであろうか。
悲劇《ひげき》
その後ぼくは異状がなかった。
ぼくの取付けられた放送機は、それからのち方々へ廻った。
多くの時間が、この装置の試験に費《ついや》された。装置には、真空管《しんくうかん》も取付けられ、すっかりりっぱになったところで、はじめて電気が通され、計器の針が動いた。
試験をしていると、装置はだんだん熱してきた。ぼくはあまり暑くて、しまいには汗をかいた。
そのうちに試験も終り、荷作《にづく》りされた。
ぼくはトラックに揺《ゆ》られ、それから貨車の中に揺られ、放送所のある遠方《えんぽう》の土地まで搬《はこ》ばれていった。
そこから先、またトラックにのせられ、寒い田舎を搬んでいかれた。
そして遂に放送所についた。
ぼくの取付けられている機械は、函から出された。そこには多勢の技師が待っていた。
「ああよかった。これで安心だ。間に合うかどうかと思って、ずいぶん心配したなあ」
その中の一等|年齢《とし》をとった人が、そういって一同の顔を見廻した。
それからぼくの機械は、多勢の肩に担《かつ》がれ、二階の機械室まで持っていかれた。
この機械を据えつける基礎はもうちゃんと出来ていた。機械はその上に載《の》せられた。うまくボルトの中に嵌《はま》らないらしく、盛んにハンマーの音がかんかん鳴った。
その震動は、ぼくのところまでもきびしく響いてきた。
「おや、これはいけないぞ!」
ぼくは気がついた。たいへんなことが起りかけた。ぼくの身体が、穴から抜けそうである。
あんまりがんがんやるからいけないのである。基礎がちゃんとうまく出来ていればよいのに、それが寸法《すんぽう》どおりいっていないものだから、ハンマーをがんがんふるわなければならないのだ。それは全くよけいな心配をぼくにかける。いや今となっては、単なる心配ではない。ハンマーがガーンと鳴るたびに、ぼくの身体は穴からそろそろと抜けていくのであった。
「おい、ねじが抜けるよ。誰か来て留《と》めてくれ」
ぼくは人間に聞えない声で、一生けんめいに怒鳴《どな》った。
仲間のもくねじたちは、きっとぼくの悲鳴を聞きつけたにちがいない。しかし、彼等の力ではどうすることも出来ないのだ。
ガーン、ガーン、ガーン。
呀《あ》っという間に、ぼくは穴からすっぽりと抜けてしまった。そして小さい声をたてて、コンクリートの床に転《ころ》がった。頭の角《かど》をいやというほどぶっつけた。ああ万事休す!
ぼくは、又もや大きな悲しみの淵《ふち》に沈んだ。床から機械の元の穴まではずいぶんはるかの上だ、翼《つばさ》ない身は、下からとびあがっていくことも出来ない。
悲しみの中にも、ぼくはまだ少しばかりの希望を抱《いだ》いていた。
それは誰かがぼくの傍《そば》を通りかかって、ぼくが転がっていることに気がつくのだ。おや、こんなところにねじが落ちている。一体どこのねじが抜けたんだろうといって、その人が親切に、ぼくの入るべき元の穴を探してくれれば、ぼくはたいへん幸福になれるのであった。どうか、誰か技師さん、ぼくを見つけてくれませんか。
しかし実際は、ぼくを見付けてくれる人間は一人もいなかったのである。運のわるいときには悪いことが重《かさ》なるもので、それから三十分ばかり経った後のこと、技師の一人がこつこつと靴音を響かせて、ぼくの転っている方へ歩いて来たが、その靴先がぼくの身体に当って、ぼくはぽーんと蹴とばされてしまった。
なにしろ軽い身体のぼくのことであるから、たちまち床をごろごろと転った末、部屋の隅にあった木箱の壊《こわ》れがつみあげてあるその下へもぐり込んでしまった。ああ、もう観念の外はない。再びあのりっぱな機械の穴へは戻れないことになってしまった。
流転《るてん》
それから先の話は、あまりしたくない。
ぼくは二十日、壊れた木箱の下にいた。
やがて工事場の取片づけが始まって、木箱は部屋から外へ搬《はこ》ばれていった。そのあとに、ぼくは、コンクリートの魂《かたまり》や縄片《なわぎれ》などと一緒に残っていた。ぼくの身体はもう埃《ほこり》にまみれて、かつて倉庫番から褒《ほ》めちぎられたときのような金色《きんいろ》の光沢《こうたく》は、もう見ようとしたって見られなかった。全身《ぜんしん》は艶《つや》をうしない、変に黄色くなっていた。
埃と一緒に、ぼくは掃き出された。そして放送所の後庭《あとにわ》に掘ってあるごみ捨て場の方へ持っていかれた。いろんなきたないものと一緒に、じめじめした穴の中に、ぼくは悲惨《ひさん》な日を送るようになった。身体はだんだんと錆《さび》て来た。青い緑青《ろくしょう》がふきだした。ぼくは自分の身体を見るのがもういやになった。
思えば、ぼくほど不幸な者はない。こんな不幸に生れついた者が、またとこの世にあるだろうか。ぼくを生んだ人間が恨《うら》めしい。もっと気をつけて旋盤《せんばん》を使ってくれればよかったんだ。
しかしぼくも途中でちょっぴり幸福を味わったことがあった。それはあの若い職工さんが、くだらない話に夢中になって、僕を放送機の孔《あな》に取付けてくれたからだ。あれから、この放送所へ来て、試験が行われている間までは、ぼくはたしかに幸福であったといえる。
だが、今から考えてみると、それは間違った幸福だった。元々あの若い職工さんが、誤《あやま》ってぼくを放送機にとりつけたのであった。だからぼくは当然今のようなみじめな境界《きょうかい》に顛落《てんらく》することは、始めから分り切っていたのである。間違った幸福をよろこんでいたぼくは、何というばかだったろうか。
或る日、このごみ捨て場に、舎宅《しゃたく》の子供たちが三四人で遊びに来た。汚いところだが、子供たちには、たいへん興味のある遊び場であるらしい。子供たちは、みんな女の子であった。ごみの山の上を、上《あが》ったり下《お》りたりして遊んでいるうちに、一人の鼻たらしの七つ位の子供が、ふとぼくを見つけて、小さな掌《てのひら》の上へ拾い上げた。
「いいものがあったわ。これは、きたないけれど、ねじ釘《くぎ》でしょう。お家へ持ってかえって、お母さんにあげるわ。額《がく》をかけるのに釘が欲しいってお母さんいっていたのよ」
ぼくは、その子供の小さい手に握られていた。そして身体がぽかぽかと温くなった。
「どれ、見せてごらん」
別の子供がやって来た。ぼくの主人は、小さな掌をひらいた。すると相手が大きな声を出した。
「まあ、きたないねじ釘ね。その青いものは毒なのよ。そんなものを持っていると手が腐《くさ》るから捨てちゃいなさい」
「まあ……」
ぼくは、ぽいと捨てられてしまった。そこは所内の通路の上で、雨ふりの日のために、舗装道路《ほそうどうろ》になっていた。ぼくは赤面《せきめん》した。もう何も考えまい。
ぼくは目をつぶって死んだようになっていた。が、最後にりっぱな人に拾い上げられた。それはこの放送所の所長さんであった。どうしてこの小さいぼくが見付かったんであろうか。所長さんは、日向《ひなた》に立《た》ち留《どま》って、ぼくを摘《つま》みあげ、つくづくと見ていた。
「やれやれ可哀想に、このもくねじは……。生まれながらの出来損《できそこな》いじゃな。ここへ捨てられるまでは、さぞ悲しい目に会ったことじゃろう。おい、もくねじさん。お前はこのままじゃ、どうにもうだつ[#「うだつ」に傍点]が上らないよ。だからもう一度生れ変ってくることだね。真鍮《しんちゅう》の屑金《くずがね》として、もう一度|製錬所《せいれんじょ》へ帰って坩堝《るつぼ》の中でお仲間と一緒に身体を熔《と》かすのだよ。そしてこの次は、りっぱなもくねじになって生れておいで」
所長さんのやさしい言葉に、ぼくは胸がつまって、泣けて泣けて仕方《しかた》がなかった。さすがに技術で苦労した所長さんだ。ぼくのような出来損いのもくねじの人生を考えてくださる、この情け深い所長さんの言葉によって、ぼくはこれまでの身を切られるようなつらいことを、一遍《いっぺん》に忘れてしまった。ああよかった。やがて所長さんは建物の中に入って、ぼくを木箱《きばこ》の中にぽとんと入れた。その箱には「屑金《くずがね》入れ」と札がかかっていた。
底本:底本:「海野十三全集 第10巻 宇宙戦隊」三一書房
1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「譚海」
1943(昭和18)年1月
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年11月24日作成
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