でなすったのですの」
「人工重力装置が故障になったにちがいない、重力がだんだん消えていく。あッからだが浮きあがってくる」
「あら、まあ。どうしましょう」
「なあに心配することはない。大丈夫。ただ、いろんなものが動きだすからね。……あッ、ほら、缶詰の中からパイナップルの輪切《わぎり》になったのが、ぞろぞろと外へせりだしてきた」
 そのとおりだ。缶詰の外へ、黄色いパイナップルの輪切になったのが、まるで生き物のように、ぞろぞろとはいだしてきたのである。
「あれッ。パイナップルのお化《ば》け!」
 と、ウェイトレスがびっくりして、とびあがった。すると彼女のからだは、すうっと天井の方へのぼっていった。足で床をけったので、重力がきいていないから、かるがるとからだが浮きあがったのである。
「あーれエ。君、どこへいく?」
 東助はウェイトレスをつかまえようと思って立上ったが、そのときやはり床をけったので、彼のからだも、ふわーり。
「おや、おや」
「あいたッ」
 ヒトミによく似たウェイトレスは天井に頭をぶっつけた。そしてその反動で、こんどはからだがすーうと下り始めた。上る東助と、下りるウェイトレスとが、途中でいきあって、両方から手をだしてつかまりあったものだから、こんどは二人のからだがからみついて、空中をふーわ、ふーわ。
 そのとき、紺色《こんいろ》の幕の奥で、
「うわッ、助けてくれ」
 といった者がある。つづいてがたんがたんと、机や腰掛のぶつかる音。
 と、戸があいて、そこからふわーッとでてきたのは、顔中|髭《ひげ》だらけのコック長であった。
「た、助けてくれ。コーヒーが、わしをおっかけてくる。あッ、あちちち。これはたまらん。助けてくれイ」
 コック長は、一生けんめいに逃げる。彼のからだが、池の中へとびこむ蛙《かえる》のように長くのび、空間をすうーッとななめにとぶ。するとそのあとから、長い、にょろにょろした茶褐色《ちゃかっしょく》の棒が、ぽっぽと湯気をたてながら、コック長をおっかけて、彼のくびすじのところへつきあたる。
「あッ、あちちち。助けてくれ。コーヒーをとりおさえてくれ。やけど攻《せ》めだ。わしは死んじまう」
 その茶褐色の棒は熱いコーヒーだった。料理場の火の上にかかっていたコーヒー沸《わか》しの口から、にょろにょろと外へでてきた熱い熱いコーヒーだった。重力がなくなったので、コーヒーはコーヒー沸しの底にじっとしてなくなったのだ。そこへちょっとした力が働いて、液状《えきじょう》のコーヒーは、コーヒー沸しの口から、にょろにょろと外へはいだしたのだ。
 そのとき、天井の隅《すみ》にとりつけてある高声器が、交替時間になったことを告げた。
 すると、反対の入口の扉があいた。そこから大ぜいの人が、この食堂へはいってきた。誰も彼もみんなからだを横にして部屋の中へはいってくる。まるで海でおよいでいるような恰好《かっこう》だった。ちょっとした力を加えると、からだが前に走りすぎて、もう停まらなかった。だから、そういう連中は、そこらにある柱や壁や、電灯の笠や机や腰掛にかじりついて、やっと自分のからだを停めるのだった。
 もちろん腰掛も机も、こんなときの用心に、しっかりと床に、ボールトとナットでしめつけてあった。
「おい。おいしいものを早くだしてくれたまえ」
「おや、ウェイトレスのヒトミさんやコック長がこんなところで、まごまごしているよ。パイ缶を一つとミルクセーキ一ぱい、早いところ頼むぜ」
 と、食堂の空中を泳ぎながら、みんな註文をだす。
「はいはい。只今。しかし熱い料理や飲料は今、できませんよ。わしもみなさんも大火傷《おおやけど》しますからね。とにかく困ったものだ。早く人工重力装置の故障が直ってくれないことには、仕事がさっぱりできません。はい只今」
 そういいながら、髭のコック長は、蛙のような恰好で料理場へとびこんでいった。
 とたんに、停電のように急にあたりが暗くなった。


   人間はおき去《ざ》り


「どうです。重力のない世界はおもしろかったですか」
 いつの間にかポーデル博士が、操縦席からうしろをふりかえって、東助とヒトミに呼びかけた。
「ああ、コック長だ。博士はコック長に変装していたんですね」
「ははは。見つけられましたね」
「髭《ひげ》だらけのコック長なんて、見たことがありませんわ」
「ははは、髭はとった方がよかったですね。さて君たちにたずねます。今訪問した世界は、宇宙艇の中の出来事でありました。ところが、もし、ああいうことが、地球の上で起ったとしたら、どんな現象が起るでしょうか」
「地球の上で生活しているとき、急に重力がなくなったら、どうなるかというんですか」
「そうです。どんなことが起りますか」
「分りました。私たちは鳥のように高い空をと
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