とか、光の屈折《くっせつ》とか、光の吸収とか、そういう学問の最高権威だ」
「じゃあ、あたり前の学問ですわ。別にかわっていないと思いますわ」
「いや、大いにかわっている。それは君たちが実際ケンプ君――ドクター・ケンプというのが彼の名前さ。そのドクター・ケンプにじっさい会ってみりゃ、ただちにわかる。一目見れば分るのだ」
「ドクター・ケンプですね。はてな、その名前ならどこかで聞いたような気がするが……」
 と、東助は考えこんだが、すぐには思い出せなかった。
「おお、この下だ。急降下するよ。目がまわるよ」
 博士の声につづいて、艇《てい》はがたんと下へ落ちはじめた。目がまわる。
「もういいよ。外へでようや」
 博士の声に、われにかえった二人だった。しずかだ。気持もぬぐったようになった。そこで一同は、例の非ユークリッドの空間に通ずる扉を開き、外へでた。
 目の前に、古ぼけた洋館が建っていた。ペンキははげちょろけで、のきはかたむいていた。窓という窓には、かっこうの悪い鎧戸《よろいど》がしまっていて、あいた窓はない。あき家なのかしらん。いや、そうではない。煙突から黒い煙がでている。中で石炭をストーブにくべているんだ。それなら中に人がいることまちがいなしだ。
 ポーデル博士は、空飛ぶ樽を、草むらの中にかくしたあとで、石段をのぼって玄関の前に立ち、上からぶら下っている綱《つな》を二三度ひいた。
 ことばは分らないが、ゆがんだ声が、家の中から聞えた。と、中でかけ金が外れる音がしてから入口の扉がすうーっと内側へあいた。
「この前、君にお話しておいたとおり、この二人が君にぜひあいたいというお客さんじゃ」
 と博士は、家の中の人に、東助とヒトミを紹介した。二人は、あわてて家の中へおじぎをした。しかし家の中の人の姿は見えなかった。
「みんな入りたまえ。早く!」
 ごつごつした声が、家の中からとびだした。
「お許しがでた。さあ入りたまえ、君たち」
 博士にうながされて東助とヒトミは、家の中へとびこんだ。――だが奇妙なことに、玄関を入った廊下には、誰もいなかった。
「ポーデル先生。あのドクターは、どこにいらっしゃるんですの」
 ヒトミが、そういってたずねたとき、きげんのわるい咳《せき》ばらいの声が、二人の子供のうしろに聞えた。二人はびっくりして、うしろをふりかえったが、しかしそこにはやっぱり誰もいなかった。
 そのかわりに――というと、ちょっとおかしいが、玄関の扉がひとりでに動きだして、ばたんとしまった。そしてかけ金が、ひとりでに動きだして、がちゃりと音をたてて懸《かか》った。
 ヒトミはもちろん東助も、頭から冷水《ひやみず》をぶっかけられたように、ぞおーッとして、左右からポーデル博士にすがりついた。
「幽霊屋敷……」
「目に見えない幽霊がいるんですね。何者の幽霊ですか」


   見えない人


「さわいでは、いけないね。この家のご主人に対して失礼だから」
 と、博士は冷やかに二人にいった。
 そのときまたもや例のふきげんな咳ばらいの声がそばで聞え、それからたしかに人間がたっているにちがいない足音が、とんとんとんと廊下を奥へ伝わっていった。が、それは足音だけのことでやっぱり姿はなかった。
「ドクター・ケンプは、いつもぶっきら棒《ぼう》にものをいう。しかし心はいい人なんだから、君たちは恐れずに、何でも質問したまえ」
 博士が二人の子供に注意をあたえた。
「あ、思い出したぞ」と東助がこのとき叫んだ。
「ドクター・ケンプは透明人間なんでしょう。ねえポーデル先生」
「ドクター・ケンプといえば、透明人間にきまっているさ」
 と博士は分り切ったことを聞く奴《やつ》だといわんばかりの顔をした。
「いったい彼は、どんな学問を使って、からだを見えなくすることに成功したか、それが大事なことなんだから、ぜひたずねてみたまえ」
 廊下の奥の左側の扉が、ひとりでに内側へ開いた。もう二人は、前ほどおどろかなかった。そのかわり、早くケンプの前へ立って、ほんとうにドクターのからだが透明で、何も見えないのかどうかをたしかめたくなった。
「入口をまっすぐ入って、この三つの椅子に腰をかけたまえ。勝手に部屋の中を歩きまわることはごめんこうむる」
 部屋の中からドクターの声がし、そして椅子が、生きているようにがたがたと肩をふり、足をふみならした。
 入ってみると、この部屋はドクターの化学実験室だと見え、天井は高く、まわりの白壁は薬品がとんだと見えて茶色に汚れた所が方々にあった。まわりの壁は、薬品戸棚と、うず高くつみあげた書籍雑誌で隙間《すきま》もない。中央に大きな台があって、その上にごたごたと実験用の器具やガラス製のレトルト、ビーカー、蛇管《じゃかん》、試験管などが林のように並んでいた。三人の椅子
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