んだ。しかしそれは何番|煎《せん》じかの出がらしだ。しかも入れ替えていった模写画というのが、一目でそれと分る拙劣な画だ。
「してみると、あの画を盗んでいった奴は、大した泥棒じゃあないね」
 大した泥棒じゃないと、いってはみたものの、よく考えてみると、伯爵にとっては、手中の玉をなくしたよりももっと大きい痛手だった。
 毎日あの名画を見、あの名画を頼りにして辛うじて生き続けて来たのにそれを奪われてしまっては、伯爵は生活力の九割がたを失ったようなものだと思った。伯爵はがっかりして、肘掛椅子の上に失心してしまった。


   袋探偵登場


 やがて伯爵は、失望の中から起きあがった。
「よし。こうなったら、どんな事をしても、あの憎い泥棒めを掴まえ、そしてあの画を取返してやるのだ」
 伯爵は、名画を取返すために、鬼になろうと決心した。
 といって、彼が自ら探しまわったんでは、大した収穫のないのを弁《わきま》えていたので、早速《さっそく》この事件を警察署に訴えた。
 警察署からは、その翌日になって係官が一人来た。そして事情をいろいろと聞き、入れ替えになった名画を見、現場をよく見た。その後で、盗難届の用紙を伯爵に渡し、詳細を書きこんで、警察筋に提出しなさいといって、係官は帰った。
 ルパンを相手のガニマール探偵のようなきびしい捜査や家人や雇人たちについての執拗《しつよう》な訊問《じんもん》が行われることと思ったのに、そんなことはなかった。係官は、たった一枚の見栄えのしない油絵の紛失について、一向驚いていないように見えた。そればかりか、盗品のかわりに、同じような別の油絵が額縁の中にはいっているんだから、ここの主人公は、差引き大した損をしていないのだと思っているようにも思われた。これでは、伯爵が生命にかけて取戻したいと思っている名画が彼の手許へ戻って来る見込は殆んどないと、伯爵自身は、早くも悟った。
 また、事実その通りであることが日を経るに従って、いよいよ明白となった。
 そこで伯爵は、私立探偵の手を借りることに決心した。この方面に多少明るい某というやはり伯爵の二男が昔学友であった因縁《いんねん》から、それに頼んで、よき名探偵の斡旋《あっせん》を乞うた、その結果、一人の探偵が、伯爵のわび住居に現われた。猫背で、長いオーバーを引摺《ひきず》るように着、赭顔《しゃがん》に大きな黒眼鏡をかけた肥満漢であった。姓名は、そのさしだした名刺によると、「袋猫々《ふくろびょうびょう》」と印刷してあったが、これは本名なんだか、または商売名前なんだか、伯爵には見当がつかなかった。
「ちょっと承《うけたまわ》りましたが、実に前代未聞の奇々怪々なる事件ですな」
 と、袋探偵は猫背を一層丸くしながら、伯爵のうしろについて、書斎へはいって来た。
「ははあ、この油絵が、それですか。なるほど、なかなか渋い名画ですな。いや、この絵のことじゃありません。この原画のことを申したのです」
 探偵は巧みに胡魔化《ごまか》しをいうた。
「なるほど、釘が二本抜けていますな。名画のあとへ、こんな怪画を入れて行くとは、けしからん犯人です。必ず犯人をつきとめて御安心願うようにします。盗難のあった前夜のことから詳しく話していただきましょう」
 探偵は熱心に伯爵の話を聞き、そして鋭い質問を連発した。
「なにしろ御承知のように零落して居りまして、雇人と申しては年とった小間使お種《たね》と、雑用の爺や伝助《でんすけ》とだけです。僕は毎夜この書斎で画を見て、その後で自分で入口の扉に錠をかけて寝室に引込むのです。その前夜も、もちろんそうしました。そしてたしかにそのときは本物の『カルタを取る人』の画が額縁にかかっていたのです」
 伯爵は、探偵に詳しく前夜から事件を発見した朝までのことを説明した。
 それによって、探偵は家中を調べ、雇人について正したが、その結果分ったことは、伯爵は嘘をついているのではない、雇人たちもこの犯罪に関係していない、賊が忍びこんだところは調理室の窓からであって、そこには有り得べからざるところに犯人のゴム靴の足跡がかすかに残り、また棚のところには犯人の手袋の跡が残っていた。そして犯人は二人組らしく、そのうちの一人は女であると推定され、而《しか》も髪の毛がやや赤いところから、色は白く、髪をポケット顕微鏡で観察し、試験薬品で処理した結果、年齢は四十歳に近い大年増の女である。これが袋探偵がその場で知り得たところの諸点だった。
「賊は二人組で、そのうちの一人は大年増の女だというんですか。しかも色の白い女で、美人なんですか」
 伯爵は、探偵からそれを聞かされると、そういって目を丸くした。
「ちょっと待っていただきます。私は今、美人とは申しませんでした。もっとも、不美人だとも断定できません。あるい
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