え、まだ、そこまでは行って居りませぬ。犯罪の性質と手口から判断して、この事件は彼烏啼の仕業にちがいないと推理した結果を御報告に参ったわけです」
「そんなら一刻も早く烏啼天駆とやらを縛りあげて、僕のところへ連れて来給え」
「ああ、そのことですが、実は私は烏啼を常に監視しつづけているのですが、どうしたわけか、この半年ほど、烏啼は本部に居ないのです。つまり行方をくらましているのです。彼のことですから、死んだのではないと思います。彼の部下もちゃんと元気に秩序立って活動していますから、頭目《とうもく》烏啼は死んだのではなく、どこかに隠れているにちがいありません。ですから私は、これから烏啼の在所を、極力捜査にかかる決心です」
「それはまた、たより無い話だね。さっき聞いた犯人が烏啼であるという結論までたより無くなって来た。君、大丈夫かね」
伯爵は情けない顔をした。
「大丈夫ですとも。怪賊烏啼を捕る力量のある者は天下に私ひとりです。どんなことがあっても彼の尻尾をつかんで取押えてごらんに入れます」
「待ち給え。毎度いうように、犯人を捕えることよりも、名画を僕の手に戻してくれることに力を入れてくれ給え」
「名画といえば、入れ替わりの名画はどうなさいました。壁からお外しになって、おしまいになったんですか」
「いや。あのインチキ名画は、出入りの美術商に四千円で払い下げてやったよ」
「それはどうも。お気のはやいことで」
「一日に何十回と見るたびに胸糞《むなくそ》が悪くなるから、無い方がせいせいするよ」
「しかし、どうも、ちと気がお早すぎましたね。これはどうも」
と、袋猫々探偵は、腕を組み、首をかしげて考えこんでしまった。
怪賊の侵入
こういう名画すり替え事件が、その週のうちに、前後三回起った。
しかし当局へ届けられたのは、一回だけであった。他の一回は、被害者の方で気がついていなかったし、もう一回の方は、事情があって当局へ届けなかった。その事情というのはその名画が、公表出来ないような筋道を通ってその人の手に入ったもので、届ければ藪蛇《やぶへび》になるのを嫌ったのである。
探偵袋猫々は、この三つの事件を知っていた。それは彼の熱心と、彼の張っている監視網の確実性によるものであろう。
彼は、極秘裡《ごくひり》にこの三事件を並べて検討した。その結果、三事件に共通しているものを二つ発見した。
その一つは、賊はいつも二人組で、うち一人は女賊であるということだ。
もう一つは、その事件のあとにはいつも怪画の買い手が来て、価値のない画を割高に買っていくことだった。その買い手は伯爵の場合の外は岩田天門堂ではなかったが、買って行くときの口上などは、三事件ともほとんど共通した文句を使っているところからして、或いは一つの系統に属している商人たちではないかと探偵に不審の心を抱かせ、それから袋探偵の活動が更に一歩深入りした。
そのころ北岡三五郎という新興成金があった。彼はこの連中の中では珍らしく審美派であって、儲けた金の一部をもって、元宮様の別邸をそっくり買い取り、それから日本画や洋画等の美術品の蒐集に凝りだした。
しかし短い時期に、そう大した美術品が集まるわけもなかったが、だがその中にピカ一ともいうべき名画が一枚あった。それはルウベンスの描いた「宝角を持つ三人のニンフ」であった。
これは縦長の画で、題名のとおり三人のニンフが画面に居て、花や果実のあふれ出てくる宝角という円錐形の筒を抱いているのであった。
この名画を、北岡は応接間の壁にかけていた。彼はこの名画を来客の一人一人に見せ、そして聞き噛って来た解説を自慢たらたらと聞かせるのだった。
袋探偵は、この名画に眼をつけていた。やがて必ずや名画怪盗の餌食になるものと思った。かの怪盗は、なかなか鑑賞眼というか鑑定眼を持っていて、真に傑作であり、値の張るものを持って行く。その傍に、別の大作の画があっても、それが幾段も劣るものだと見分けて、手をつけないのだった。だから怪盗はこのルウベンスの名作に必ずや手を出すにちがいないと思った。
だが彼は、北岡氏に対し、そのことを予《あらかじ》め警告することはしなかった。彼の不親切であろうか。
そのためかどうか分らないが、遂に北岡邸へ例の怪盗が忍びこんだ。大雨風の去った次の静かな深夜のことだった。
黒衣に身体を包んだ二人の賊の、一方は背の高く肩幅の広い巨漢であって、男にちがいなかった。もう一人の賊は、五尺二寸ばかりで、ずっと低く、ただ腰のまわりがかなり張り出していた。どうもこの方は女賊であるらしい。頭には、ナイト・キャップのようなものを被り、黒色の大きな目かくしで、顔の上部を蔽《おお》っている。
侵入の仕事は、男の方が先に立って、どしどし片づけていった。彼は
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