《しゅっぽん》してしまった。その原因は誰にも分りすぎるほど分っていた。それはかの帯刀の愛娘《まなむすめ》お妙《たえ》に失恋したためだった。その失恋も単純な失恋ではなく、人もあろうに、半之丞と同じ若侍の千田権四郎《せんだごんしろう》という武芸こそ家中第一の達人であるが、蛮勇そのもののようなむくつけき猪武者にお妙を取られた形とあって、センチメンタル派の半之丞は失意と憤懣やるせなく、遂に一夜、どこともなく屋敷を出ていったのであった。
お妙の父帯刀は、どっちかというと半之丞のような柔弱な人物を好いてはいなかった。しかし亡友の遺児であってみれば捨てて置くことは世間が蒼蠅《うるさ》かった。それで岡引の虎松に命じて探索させたのだがどうも分らない。この上は世間の口の戸を立てるために、毎年半之丞出奔の日が巡《めぐ》ってくると、華やかに虎松を呼びつけて、過去一年間の捜索報告を聞くことにしたが、例の思惑からして、虎松に対しては非常に厳重な尋問態度を改めなかった。さてこそ虎松は、捜索上の不運を慨《なげ》くよりも前に帯刀の辛辣《しんらつ》なる言葉を耳にするのを厭《いや》がっていたのであった。――
「虎松。――」
と帯刀は言葉を改めて呼んだ。
「へえ、――」
「半之丞が失踪《しっそう》いたして、今日で何ヶ年に相成《あいな》るかの」
「へえ。――丁度満五年でござりますな」
「もう五年と相成るか」と帯刀は憮然《ぶぜん》としてその五ヶ年の年月《としつき》をふりかえっているようであったが、やがておもむろに虎松の方に面を向け直し「こりゃ虎松。五年と申せば永い年月じゃ。これほど探しても分らぬものを、これからまた十年十五年と探すは無駄なことじゃ。今日限りかねて其方に申しつけてあった半之丞捜索の儀は免除してとらせる」
「ははッ。それでは捜索打切……」
「そうじゃ。われわれは充分出来るかぎりの捜索を行ったのじゃ。誰に聞かれても、われわれに手落はないわ」
「御尤《ごもっとも》もなる仰せ……」
といったが、虎松は肚《はら》の中で、(チェーッこの狸爺《たぬきじじい》め……)と呶鳴《どな》っていた。
「これにてそちも身が軽くなったことじゃろう。この上は御用専心に致せ。――おお、そうじゃ。聞けばこの程より怪しき辻斬がしきりと出没して被害多しとのこと。町方与力同心など多勢《おおぜい》居りて、いかが致し居るのじゃ」
「
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