った身が、今はあの兇行の連続にもかかわらず、憎悪はむしろ帯刀一家に移って、彼れ自身の上には夥《おびただ》しい同情と畏敬とが集っているのを知って快心の笑みを洩らしていた。そこで彼は、善心に立ちかえるべきだったかも知れないが、悪魔に売った魂は、そう簡単に取りかえせるものではなかった。
「おお、人が斬りたい。……」
 と、日暮れになると、彼は高尾山中の岩窟からノッソリ姿を現わし、魘《うな》されでもしているかのような口調で叫ぶのだった。
「おうい、くろがね天狗よ、洞から出て参れ」
 そういって半之丞は右手をあげて額の前で怪しく振った。すると彼は一種の自己催眠に陥り、異常なる精神集中状態に入るのだった。
「くろがね天狗、出てこい!」
 そういって命令すると、精神が電波のように空間を走って、洞の中に安置されている所謂《いわゆる》くろがね天狗の手足を動かすのだった。脳の働きは一種の人造電波を起こして空間を飛び、そして人造電波の受信機に外ならぬ機械人間くろがね天狗を自由自在に操縦するのであった。これが半之丞が五ヶ年の山籠りを懸けて作り上げた秘作機械だった。――南蛮鉄の胴体に、黒装束に黒頭巾を蔽《おお》った機械人間がコトリコトリと音を立てて出て来た。
「さあ、出発だ!」
 半之丞は機械人間の脊《せ》に飛びのった。すると機械人間は彼の一念に随《したが》って走りだした。ヒューヒューと風を切って、暗澹《あんたん》たる甲州街道を江戸の方へ向って飛ぶように走っていった。


   死闘


 やがて二刻ちかくたって、半之丞とくろがね天狗の現れたのは、江戸の東を流るる大川に架けられた両国橋の袂《たもと》だった。十日あまりの月が、西空から墜ちんばかりだった。あたりは湖の底のように静かで、行人《こうじん》の気配もない。
「ちぇッ。今夜もあぶれるか」
 半之丞は舌打をした。
「人間の匂いさえしない。……」
 といったが、横網寄りの商家の屋根の上から、チョコンと出ている一つの首には気がつかなかった。それこそは岡引虎松の辛棒づよい偵察姿勢だとは知る由もなかった。彼は怪人の正体がどう考えても解けない口惜しさに、かろうじて辛棒づよい偵察をつづけているわけだった。
「おおッ――」と半之丞は、電気に觸れたように身慄《みぶる》いした。
「おお珍らしや、向うから来るは確かに人影、占めた!」
 半之丞は大きく肯《うなず
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