いものとして排撃《はいげき》している。しかし僕に云わせれば、彼等は識らざるが故《ゆえ》に排撃しているのである。彼等には取扱い得ないが故に敬遠しているのである。それは排撃の理由にならぬ。如何に排撃しようと、科学小説時代の温床《おんしょう》は十分に用意されているのだ。彼等はいまに、自分が時代に遅れたる作家であったことを悟るであろう。時代を認識できない者や不勉強な者は、ドンドン取り残されてゆく。
 科学小説時代は、今や温床の上に発芽しようとしている。僕は最近某誌の懸賞に応募した科学小説の選をした。今度が第三回目であって、その前に二回応募があったので、いずれも僕が選をした。今度の選に於て、僕の非常に愕《おどろ》いたことは、その応募作品の質が前二回に比して躍進的向上を示したことである。僕は思わず独言《ひとりごと》をいったくらいだ。――やあ、いよいよ御到着が近づきましたネ、科学小説時代! ――と。僕はそのとき、たしかに科学小説時代の胎動《たいどう》を耳に捕えたのであった。
 科学小説時代はいよいよ本舞台に入ろうとしている。それはどんな色の花を咲かせることになるのか、まだ分っていない。どんなものになるのかしらないが、とにかく科学小説時代が開ける。われ等の生活上の科学を、次の世界を夢想《むそう》する科学を、われ等の生命を脅かす科学を、その他いろいろな科学を土台として、科学小説はいまや呱々《ここ》の声をあげようとしている。どんないい子だか、鬼っ子だか、誰も知らないが……。
 そういう時節《じせつ》に、僕がこの本を上梓《じょうし》することが出来たのは、たいへん意義のあることだと思う。この本は、良きにも悪しきにも、科学小説時代を迎えるまでの捨て石の一つになるであろう。ぜひそうなることを僕は心から祈る者である。僕は、近き将来に於て、卓越《たくえつ》した科学小説家の著《あらわ》すところの数多くの勝れた科学小説を楽しく炉辺《ろへん》に読み耽《ふけ》る日の来ることを信じて疑わない。

 次に、この本に収めた各篇について、簡単な解説を試み、一つは作者自身の楽しき追憶《ついおく》のよすがにし、また一つは大方の御参考にしたいと思う。
 巻頭に置いた『崩《くず》れる鬼影《おにかげ》』は昭和八年、博文館から創刊された少年科学雑誌「科学の日本」に書き下ろしたものである。極く単純な宇宙の神秘を小説にしたもので
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