○○獣
海野十三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)墓場《はかば》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)突然|狩人《かりゅうど》が現れ、
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眠られぬ少年
深夜の大東京!
まん中から半分ほど欠けた月が、深夜の大空にかかっていた。
いま大東京の建物はその青白い光に照されて、墓場《はかば》のように睡っている。地球がだんだん冷えかかってきたようで、心細い気のする或る秋の夜のことだった。その月が、丁度《ちょうど》宿《やど》っている一つの窓があった。その窓は、五階建ての、ネオンの看板の消えている、銀座裏の、とある古いビルディングの屋上に近いところにあって、まるで猫の目玉のようにキラキラ光っていた。
もし今ここに、羽根《はね》の生《は》えた人間でもがあって、物好きにもこの窓のところまで飛んでいったとしたら、そしてその光る硝子《ガラス》窓のなかをソッと覗《のぞ》いてみたとしたら、そこに一人の少年が寝床《ねどこ》に横《よこた》わったまま、目をパチパチさせて起きているのを発見するだろう。敬二《けいじ》――といった。その少年の名前である。
大東京の三百万の住民たちは今グウグウ睡っているのに、それに大東京の建物も街路も電車の軌道《きどう》も黄色くなった鈴懸《すずか》けの樹も睡っているのに、それなのに敬二少年はなぜひとり目を覚ましているのだろうか。
「本当にそういうことがあるかも知れないねえ――」
と、敬二は独《ひと》り言《ごと》をいった。なにが本当にあるかも知れないというのだろうか。
「――原庭《はらにわ》先生が嘘をおっしゃるはずがない」少年は、何かに憑《つ》かれたように、誰に聞かせるとも分らない言葉を寝床の中にくりかえした。
少年を、この深夜まで只ひとり睡らせないのは、ひるま原庭先生がクラスの一同の前でなすった、一つの奇妙なお話のせいであった。
では、そのお話とは、どんなものであったろうか。――
「だからねえ、みなさん」と、原庭先生は目をクシャクシャとさせておっしゃったのである。それは先生の有名な癖だった。「世の中に、人間ほど豪《えら》いものがないと思ってちゃ、それは大間違いですよ。この広い宇宙のうちに、何万億の星も漂《ただよ》っているなかで、地球の上に住んでいるわれわれ人間が一番賢いのだなんて、どうして云えましょうか。人間よりもっと豪い生物が必ずいるに遺いないのです。そういう生物が、いつわれわれの棲《す》んでいる地球へやって来ないとも限らない。彼らは、その勝《すぐ》れた頭脳でもって、人間たちを立ち処《どころ》に征服してしまうかもしれない。丁度山の奥に蟻《あり》の一族が棲んでいて、天下に俺たちぐらい豪いものはなかろうと思っていると、そこへ突然|狩人《かりゅうど》が現れ、蟻は愕《おどろ》くひまもなく、人間の足の裏に踏みつけられ、皆死んでしまったなどというのと同じことです。人間もひとりで豪がっていると、今に思いがけなくこの哀《あわ》れな蟻のような愕きにあうことでしょう。みなさん、分りましたか」
教室に並んでいた生徒たちは、ハイ先生、分りましたと手をあげた。敬二も手をあげたことはあげたんだが、彼は先生の話がよくのみこめなかった。ただ彼は、人間よりずっと豪い生物がいる筈だと聞かされて、非常に恐ろしくなった。そしてなんとなく原庭先生が、地球人間ではなく、地球人間より豪い他の天体の生物が、ひそかに原庭先生に化けて教壇の上から敬二たちを睨《にら》んでいるように思えて、急に身体がガタガタふるえてきたことを覚えている。
先生のお話になったようなことがあっていいものだろうか。
不思議の音響
敬二少年は、もうすっかり目が冴《さ》えてしまった。寝ていても無駄なことだと思ったので、彼は寝床から起き出して、冷々《ひえびえ》した硝子《ガラス》窓に近づいた。月はいよいよ明《あきら》かに、中天《ちゅうてん》に光っていた。なぜ月は、あのように薄気味のわるい青い光を出すのだろう、どう考えたって、あれは墓場から抜け出して来たような色だ。さもなければ、爬虫類《はちゅうるい》の卵のようにも思える。敬二には、今夜の月がいつもとは違った、たいへん気味のわるいものに思えてくるのだった。
そのときだった。
ビビビーン。奇妙な音響が敬二の耳をうった。そう大きくない音だが、肉を切るような異様《いよう》に鋭い音だった。
「今時分、何の音だろう?」硝子窓の方に耳をちかづけてみると、その窓硝子がビビビーンと鳴っているのだった。
なぜ窓硝子は鳴るのだろう、彼はこれまでにこの窓硝子の鳴ったのを一度も聞いたことがなかった。だからたいへん不思議なことだった。だが窓硝子はひとりで鳴るはずがない。必ず何処かに、この窓硝子を鳴らすための力がなければならぬ。その力の元は何であろうか。
「はて、何だろう?」敬二は窓越しに、深夜の地上を見やった。どの建物の屋根も壁も窓も、すっかり熟睡しているように見える。怪しき力の元は、どこにも見当らない――と思ったそのとき、ふと敬二の注意をひくものが……。
「おや、あれは何だろう」それは芒《ぼう》ッと、ほの赤い光であった。二百メートルほど先の、東京ビルの横腹を一面に照らしている一大火光《いちだいかこう》であった。はじめは火事だろうかと思った。火事ならたいへんだ。火は一階から四階の間に拡っているんだから、だが火事ではない。赤い光ではあるが、ぼんやりした薄い色なんだから。
その大火光は、ときどき息をしていた。ビビビーン、ビビビーンと窓硝子の音が息をするのと同じ度数《どすう》で、その大火光もパパーッ、パパーッと息をした。だから敬二は、窓硝子の怪音と東京ビルの横腹《よこばら》を照らす火光とが同じ力の元からでていることを知った。さあ、こうなるとその火光がどうして見えるんだか、早く知りたくなった。
敬二は、寝衣《ねまき》を着がえて、早速《さっそく》あの東京ビルの横にとんでいってみようかと思った。でも、すぐそうするには及ばなかった。というのは、その怪しき大火光の元が分るような、不思議な怪物が、敬二の視界のなかにお目見得したからである。それは丁度、東京ビルの横に、板囲《いたがこ》いをされた広い空地《あきち》の中であった。そこには黄色くなった雑草が生《は》えしげっていて、いつもはスポンジ・ボールの野球をやるのに、近所の小供《こども》や大供《おおども》が使っているところだった。その平坦《へいたん》な草原の中央とおぼしきところの土が、どういうわけか分らないが、敬二の見ている前で、いきなりムクムクと下から持ちあがって来たから、さあ大変! 東京ビルの横腹を染めていた大火光は、その盛りあがった土塊《どかい》のなかから、照空灯《しょうくうとう》のようにパッとさし出ているのであった。地面の下からムクムクと頭をもちあげてきたものは、一体何だろう。
深夜の探険
敬二はもうじッとして居られなかった。
「――原庭先生のおっしゃったのは、これじゃないかなア。人間の知らない変な生物が、地面の下をもぐって出てきたのではなかろうか。ウン、そうだ。もっと近くへ行って、何が出てくるか、よく見てやろう」もう、敬二は怕《おそ》れ慄《ふる》えてばかりいなかった。何だか訳のわからぬ不思議なことが始まったと気づいた彼は、その怪奇の正体を一秒でも早くつきとめたいと思う心で一杯だった。
敬二は寝衣《ねまき》をかなぐりすてると、金釦《きんボタン》のついた半ズボンの服――それはこの東京ビルの給仕《きゅうじ》としての制服だった――を素早《すばや》く着こんだ。そしてつっかけるように編《あみ》あげ靴《くつ》を履《は》いて、階段を転《ころ》がるように下りていった。彼の右手には、用心のたしにと思って、この夏富士登山をしたとき記念のために買ってきた一本の太い力杖《ちからづえ》が握られていた。敬二が一生懸命にいそいで、例の空地の塀《へい》ぎわに駈けつけたときには、空地の草原を下からムクムクと動かしていた怪物は、すでに半分以上も地上に姿を現わしていた。敬二はハアハア息をはずませながら、それを塀の節穴《ふしあな》から認めたのである。
「おおッ。あれは何だろう。――」土を跳《は》ねとばして、ムックリと姿をあらわしたのは、まるで機械水雷《きかいすいらい》のような大きな鋼鉄製らしい球であった。球の表面は、しきりにキラキラ光っていた。よく見るとそれは怪球の表面がゴム《まり》毯のようにすべすべしていないで、まるで鱗《うろこ》を重《かさ》ねたように、小さい鉄片らしいものに蔽《おお》われ、それが息をするようにピクピク動くと、それに月の光が当ってキラキラ閃《ひらめ》くのであった。その怪球はグルグルと、相当の速さで廻っていたが、その上に一つの漂《ただよ》う眼のようなものがあった。それは人間の目と同じに、思う方向へ動くのであった。例の薄赤い火光も、その眼のような穴から出ている光だったのである。
「何だろう。あれは機械なのだろうか。それとも生物なのだろうか」片唾《かたず》をのんでいた敬二少年は、思わずこう呟《つぶや》いた。全《まった》く得態《えたい》のしれない怪球であった。鋼鉄ばりらしく堅く見えるところは機械のようであり、そして蛇の腹のように息をするところは生物のようでもあった。
さあ、この怪球は、機械か生物か、一体どっちなんだろう?
二つの怪球
怪球は、敬二少年の愕《おどろ》きを余所《よそ》に、ずんずん地面の土下から匍《は》いあがってきた。ビビビーン、ビビビーンという例の高い音が、鼓膜《こまく》をつきさすようだった。
「あれッ、あの機械水雷のお化けは、横に転がってゆくよ」敬二が愕きつくすのは、まだ早すぎた。
草原にポカッと明《あ》いた穴の中から、なにかまた、黒い丸い頭がムクムクともちあがってきた。
「おや、まだ何か出てくるぞ」ムクムクムクとせりあがってきたのは、始めの怪球と形も色も同じの双生児《ふたご》のようなやっぱり大怪球だった。
「呀《あ》ッ、二つになった。二つがグルグル廻りだした。ああ、僕は夢を見ているんじゃないだろうな」
夢ではなかった。敬二は自分の頬《ほ》っぺたをギュッとつねってみたが、やっぱり目から涙が滾《こぼ》れおちるほどの痛みを感じたから。
二つの真黒な怪球は、二条の赤い光を宙に交錯《こうさく》させつつ、もつれあうようにクルクルと廻りだした。その速いことといったら、だんだんと速さを増していって、やがて敬二少年のアレヨアレヨと呆れる間もなく、二つの大怪球は煙のように消えてしまった。と同時に、照空灯《しょうくうとう》のように燿《かがや》いていた赤光も、どこかに見えなくなった。ただあとには、さらに高い怪音が、ビビビーン、ビビビーンと、微《かす》かに敬二の耳をうつばかりになった。
「あれッ。どうも変だなア。どこへ行っちまったんだろう」敬二は二つの黒い大怪球が、宙に消えてゆくのを見ていて、あまりの奇怪さに全身にビッショリ汗をかいた。
双生児の怪球はどこへ行った?
敬二は、まるで狐に化《ば》かされたような気もちになって、掘りあらされた空地《あきち》の草原をあちこちとキョロキョロと眺《なが》めわたした。
怪球はどこにも見えない。だが、ビビビーンと微《かす》かな怪球の呻《うな》り声だけは聞える。どこかその辺にいるんだろうが、こっちの目に見えないらしい。
そのときであった。カリカリカリという木をひき裂くような音が聞えだした。鋭い連続音である。
「さあ何か始まったぞ」敬二はその異変を早く見つけたいと思って目を皿のようにして方々を眺めた。遂《つい》に彼は発見したのである。
「あッ、あそこの板塀《いたべい》が……」板塀に、今しもポカリと穴が明いている。フットボールぐらいの大きさだ。その穴が、どうしたというのだろう、見る見るうちに大きく拡がってゆくのである。やがてマンホールぐらいの大きさの穴になり、それからまだ大きくなって自動車のタイヤ
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