山月光。馬麥因縁支命足」というような境地にならなければ駄目らしい。そして、更に「大千沙界一筒自由身」になり「無底併呑尽十方」になれば申し分がないのであろう。
 「酔生夢死」という言葉がある。僕はこの言葉が大好きである。願わくば刻々念々を酔生夢死の境地をもって始終したい。又「浮遊不知所求。猖狂不知所往」の如きは自分のようなボヘエムにとっては繰り返せば繰り返す程、懐かしみの増して来る言葉である。「酔生夢死」は自分のようなヤクザ者には至極嬉しい言葉である。ところが、実際、却々[#底本「劫々」。『選集』で「なかなか」となって居るのに合せて訂正]それが出来かねるのである。人生そのものに酔っていられるなら、なにもわざわざ酒や阿片の御厄介にならなくてもすみそうなものだ、夢死が出来れば。死の恐怖に襲われる憂いもあるまい。ボオドレエルの詩に「いつでも酔払っていろ。その他のことはどうだっていい、これこそ唯一の問題だ」というのがある。自分はそれを読んだ時に、彼も亦「酔生夢死」の讃美者だなと独りできめたことだ。そして、本人はそれが思うように出来なかった苦しまぎれにあんな詩を作ったにちがいない。たとえ日常生活そ
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