なこともなくなることと思う。唯だ自分の生活がその女性を愛し、彼女から愛されることをもって始終するのである。それが生活意識の中心になる、アルハになり、オメガになり、神になり、仏になり、天国になり、芸術になり――一切になり切るのである。
つまり、自分の生活はその妄想の充たされない苦しまぎれの生活なのだと思う。酒に溺れ、音楽に慰めを求め、女を買い、知識の世界に遊ぼうとするのは悉くその慾求の変形なのである。そして遂にそれ等の一切は自分の真の慾望を充たしてはくれないのである。しかし僕は絶望はしたくない。その無理な慾求を背負いながら、闇黒な流浪の旅を続けるだけである。そして前にもいったように、精根が尽き果てたら死ぬだけの話である。なんというわがまま[#「わがまま」に傍点]な惨澹たる生活だろう。しかし、その妄想の執着が存する限り僕は生きる力がその執着から湧き出してくることと信じている。
この妄想こそ僕の唯一のイリュウジョンである。それ以外の人生の一切は僕に激しい幻滅を与えないでは置かないのである。たとえ一切は虚無でもかまわない。僕はこの妄想に取り縋って生きて行こうと思う。稀代の色狂人と嗤う人は嗤
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