一人でなにか考えこんでばかりいた。学校へ行くことなども勿論、あまり好きではなかった。従って大方の少年の空想するように、英雄豪傑になろうとか、大政治家になろうとか、そんな希望や野心を抱いたことは一度もなかった――第一「なに」になろうなどということもハッキリ考えたことは殆どなかった――それならどんなことを考えていたかというと、実に考えてもなんにもなりそうもないことばかりを考えていた――「全体世の中というのはなんであるか?」「人間とはなにか?」「人間は全体どうしたら一番よく人として生きられるのか?」「神というような者は果して存在しているのだろうか?」「なんのために人生は存在しているのか?」(等)――つまりむずかしくいうと「形而上学的要求」という奴をやっていたのだ――僕の十四五時分の愛読書(今でも時々引っ張り出して読む)が「徒然草」であったことを考えて見ても自分のその頃の心持は略々《ほぼ》察せられる。それから、英語を習い始めてから学校で「ユニオンの第四読本」などを教わっているうちに、いつの間にか基督教にかぶれ出して、今迄手にしていた文学の書物を悉く棄てて宗教の書物ばかりを読むようになった――そ
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