闘の間に抑圧せられながらも、底流として存在する別個の精神にロマンティシズムがある。更に最近に於て著しく台頭して来たソシアリズムの精神は遠く明治初年に於ける仏蘭西学派にその最初の酵母を有するが如くに思われるけれど、少くとも日本現代に於けるそれは基督教のイディアリズムを母とし、ナチュラリズムを父とする一種不可思議な奇形児である。彼こそはまことに“Romantic Spirit”の“Antipode antipodes”である。
 僕は自分のことだけを話すつもりで、思わず横道に逸れたが、しかし僕の心がそれ等の諸精神の影響を受け、それ等の諸精神が又僕という一個の存在の中で色々と Dramatic Scene を演じたことも事実である。
 とに角僕は時代精神の潮流に押し流されながら、色々の本を乱読した――文学の書物も勿論好きではあったが、哲学めいた本の方に興味があった――しかし、その頃は今から見ると所謂単純だったから、「こんどこそあの本を読んで、ほんとうに『真理』というようなものを、ハッキリ把みたい、『宇宙の謎』というようなものを少しでもいいから解決してみたい」?[#「?」は底本では、カギカッコの中にあったのを訂正]などとそんなことを真剣に考えて読んだものだが――どんな本を読んでみても自分の頭がわるいせいか結局、なんにも[#「なんにも」に傍点]わからないということだけしきゃわからなかった。
 しかし、僕のような人間にとっては、自分の人生に対する態度がハッキリ定まらない間はなに一ツやる気にはなれないのである。そして結局、自分の心の根本的態度が動揺しているのだから、なに一つ出来よう筈がない。なんとか早くきまりをつけたいものだとそればかりを気にして暮らしてきたのである。
 つまり、僕はスチルネルを読んで初めて、自分の態度がきまったのだ。ポーズが出来たわけだ。そこで初めて眼が覚めたような気持になったのだ。今迄どうにもならないことに余計な頭を悩ましてきたことの愚かなことに気がついたわけだ。自分の読んだ書物の中で恐らくこの位自分を動かした本は一つもない。それから、度々繰返しては読んでみた。実際、初め読み出した時は一寸見当がつかないで弱ったが、英訳の序文にもこの本は難解だと断ってあるのだから、少し位の我慢はしなければならないと思って、辛抱して読んでいるうちに、次第にスチルネルのいうことがわかってきた。今迄、自分の考え惑うてきたことが一々手にとるようにハッキリと説明されている。「なる程」と思うような気持はこの本を読んでいる間に幾度となく味わされた。そしてやっと自分が安心することが出来るような気持になって来た。「自己」という物の本体をハッキリ自覚させられたのである。この自覚を一切の人間が出発点にすれば、一番まちがいないのだということがよく呑み込めた[#「呑み込めた」は底本では「呑め込めた」]。
 スチルネルを読んでから、自分は哲学の本を今迄とはまるでちがった態度で読むようになった。つまり他の文学的作品と同じに見るようになった、ロオマンスを読むと同じ気持で読むようになったのである。これより以前聖書はもう自分にとっては一種の古いロオマンスのようなものであると思われていたが、哲学の本にはまだなにか其処に優れた特別な認識によって「真理」というような手品の種が隠されているかの如く思いこんでいたのだが――その迷夢が一朝にして覚まされたわけである。
 通常スチルネルを攻撃する人は、スチルネルが一切の偶像を破壊した後に、遂に「自我」という「偶像」を立てたといって非難する。なる程、そういえばそうだといえるかも知れない。しかし彼は自分の説く「自我」をフィヒテ等の所謂「超絶的自我」或は又仏教徒などのよく口癖にする「大我」というようなものから、ハッキリ区別して、各個人の内に時々刻々動いている「血肉のこの刹那的自我」だというように断っているところを見ると、それは一定不変なものではなく、よし、それを「偶像」に祭りあげたところで、各人はその内容を各自の勝手放題に変化してゆくことが出来るのだから、一向邪魔にはならない「偶像」である。それにスチルネルは人間が好んで偶像を造り出すことに別段反対はしてはいない。要は、その「偶像」を創造者であるかの如く思い込むことを戒めているのである。主客顛倒を警告しているのである。
 彼の教義――教義哲学でも、理屈でもなんでもかまわない――は又一名幻滅の哲学だということが出来るかも知れない。なぜかというと、自己以外の一切の価値を認めないことになるからである。――そして自己の存在だけを肯定するのである。しかし、自己以外の存在の価値を一切否定するというのはいいかえれば、やはり幻滅である。自己以外に何物をも求めないのである。一切が自分の価値判断から生ずる極端な主観
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
辻 潤 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング