するために沈潜する」とか妙な言葉が流行していた。
野枝さんはメキメキと成長してきた。
僕とわかれるべき雰囲気が充分形造られていたのだ。そこへ大杉君が現われてきた。一代の風雲児が現われてきた。とてもたまったものではない。
先日「中央公論」をちょっと見たら春夫が僕を引き合いに出していた。ラフォルグかなにかの短篇の一節を訳して僕がきかせた時の気持ちを想像して書いたのだが、あれはたしかに記憶にある。聡明な春夫の御推察通りであるが、あの大杉君の『死灰の中より』はたしかに僕をして大杉君に対するそれ以前の気持ちを変化させたものであった。あの中では、たしかに大杉君は僕を頭から踏みつけている。充分な優越的自覚のもとに書いていることは一目瞭然である。それにも拘わらず僕はとかく引き合いに出される時は、大杉君を蔭でホメているように書かれる。だがそれは随分とイヤ味な話である。僕は別段改まって大杉君をホメたことはない。ただ悪くいわなかった位な程度である。僕のようなダダイストにでも、相応のヴァニティはある。それは、しかし世間に対するそれだけではなく、僕自身に対してのみのそれである。自分はいつでも自分を凝視めて
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