はなんでもないことなのかも知れぬ。近い話が大杉君だが、今でも社会主義といえばやたらと巡査とケンカをしたり、金持ちをユスッテ歩く壮士かゴロツキの類だと考えている連中がいるのだから助からない。中には社会主義だと称してそんなことばかりやって歩いている人間もあるのかも知れないが、それよりも堂々ともっともらしい大看板を掲げてヒドイことをやっている奴が腐る程あるのではないか。金さえ出せば大ベラボーの売薬の広告をでさえ第一流の新聞が掲載する世の中なのだ。
僕の文壇へのデビューは『天才論』の翻訳だったが、『天才論』は御承知の通り文学書ではない。ただその書物が面白かったので教師をやっている間に少しばかり訳しておいたのだが、それをとりあえずまとめて金に換えようとしたのであった。
僅か今から十年も前だが、その頃のことを考えてみると、文芸がたしかに一般的になったものだ。民衆化されたとでもいうのか。当時の出版屋がロンブロゾオの名前を知らなかったのも無理はない。僕のそのホンヤク書の出版が如何に困難なものであったか、如何にバカ気た努力をそのために費やしたかは序文にもちょっと書いておいた通りだが、今でもあの本が数
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