られてもそれを借りることを恥辱であるかの如く、またなにか恐ろしく危険でもあるかの如く考えている。自分には祖先伝来の二本の足があるから、危険な電車や自動車には乗らないといって威張っているのと少しも変わりはありはしない。電気にしろ機械にしろ薬品にしろ、みんな危険といえば危険でないものは一つもない。だが、それに対する精確[#「精確」に傍点]な知識と取り扱い方を知っていさえすれば、少しも危険でもなんでもないだろうじゃないか?
 野枝さんはらいてう氏の同情と理解によって、「青鞜」社員になって働いた。僕も時々らいてう氏を尋ねるようになった。そうして随分と厄介をかけたようだ。それから当時社内の「おばさん」といわれていた保持白雨氏、小林の可津ちゃん、荒木の郁さん、紅吉などという連中とも知り合った。「新しい女」は、吉原へおいらんを買いに行き五色の酒を呑んで怪気焔を吐き、同性恋愛の争奪をやり、若き燕を至るところで拵えるというような評判によってのみ世間へ紹介された。自然主義が出歯亀によって代表されたのと少しも変わりはなかったのである。だが、昔キリスト教が魔法使いと誤られて虐殺されたことを考えると、そんなことはなんでもないことなのかも知れぬ。近い話が大杉君だが、今でも社会主義といえばやたらと巡査とケンカをしたり、金持ちをユスッテ歩く壮士かゴロツキの類だと考えている連中がいるのだから助からない。中には社会主義だと称してそんなことばかりやって歩いている人間もあるのかも知れないが、それよりも堂々ともっともらしい大看板を掲げてヒドイことをやっている奴が腐る程あるのではないか。金さえ出せば大ベラボーの売薬の広告をでさえ第一流の新聞が掲載する世の中なのだ。
 僕の文壇へのデビューは『天才論』の翻訳だったが、『天才論』は御承知の通り文学書ではない。ただその書物が面白かったので教師をやっている間に少しばかり訳しておいたのだが、それをとりあえずまとめて金に換えようとしたのであった。
 僅か今から十年も前だが、その頃のことを考えてみると、文芸がたしかに一般的になったものだ。民衆化されたとでもいうのか。当時の出版屋がロンブロゾオの名前を知らなかったのも無理はない。僕のそのホンヤク書の出版が如何に困難なものであったか、如何にバカ気た努力をそのために費やしたかは序文にもちょっと書いておいた通りだが、今でもあの本が数
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