は気を変えて、「つまらねえことを言うのは止してくれ、お前が助からんけりゃ、己も助からん」
「貴方はそう言いなさるけれど、私だっても他人じゃなし、一緒に死ぬなら好《いい》じゃごわせんかえ」
とお隅は源の姿を盗むように視下《みおろ》して、蒼《あおざ》めた口唇《くちびる》に笑《えみ》を浮べました。源は地団太踏んで、
「真実《ほんとう》に、お前はどうかしてる。己がこれ程言うじゃねえかよ。己を助けると思って、機嫌克《きげんよ》くして行ってくれ。なあ、一生のお頼みだに」
お隅は口を噤《つぐ》んで了う。源はぶつぶつ言いながら、馬を引いてまいりました。
筒袖の半天に股引《ももひき》、草鞋穿で頬冠りした農夫は、幾群か夫婦の側を通る。鍬《くわ》を肩に掛けて行く男もあり、肥桶《こえたご》を担いで腰を捻《ひね》って行く男もあり、爺《おやじ》の煙草入を腰にぶらさげながら随《つ》いて行く児もありました。気候、雑草、荒廃、瘠土《やせつち》などを相手に、秋の一日《ひとひ》の烈しい労働が今は最早《もう》始まるのでした。
既に働いている農婦も有ました。黒々とした「のっぺい」(土の名)の畠の側を進んでまいりますと、一人の荒くれ男が、汗雫《あせしずく》になって、傍目《わきめ》もふらずに畠を打っておりました。大な鋤《すき》を打込んで、身を横にして仆《たお》れるばかりに土の塊を鋤起す。気の遠くなるような黒土の臭気《におい》は紛《ぷん》として、鼻を衝くのでした。夫婦は他《ひと》の働くさまを夢のように眺め、茫然《ぼんやり》と考え沈んで、通り過ぎて行きましたのです。板橋村を離れて旅人の群に逢いました。
高原の秋は今です。見渡せば木立もところどころ。枝という枝は南向に生延《はえの》びて、冬季に吹く風の勁《つよ》さも思いやられる。白樺《しらはり》は多く落葉して、高く空に突立ち、細葉の楊樹《やなぎ》は踞《うずくま》るように低く隠れている。秋の光を送る風が騒しく吹渡ると、草は黄な波を打って、動き靡《なび》いて、柏《かしわ》の葉もうらがえりました。
ここかしこに見える大石には秋の日があたって、寂しい思をさせるのでした。
「ありしおで」の葉を垂れ、弘法菜の花をもつのは爰《ここ》です。
「かしばみ」の実の路《みち》に落ちこぼれるのも爰です。
爰には又、野の鳥も住隠れました。笹《ささ》の葉蔭に巣をつくる雲雀《ひばり》
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