えるようになりました。
こうして馬の口を取って、歩いて行くことは、源にとりまして言うに言われぬ苦痛です。源も万更《まんざら》憐《あわれ》みを知らん男でもない。いや、大知りで、随分|落魄《おちぶ》れた友人を助けたことも有るし、難渋した旅人に恵んでやった例もある。もし、外の女が災難で怪我でもして、平沢へ遣らんけりゃ助からない、誰か馬を引いて行ってくれるものは無いか、とでも言おうものなら、それこそ源は真先に飛出して、一肌ぬいで遣りかねない。人が褒めそやすなら源は火の中へでも飛込んで見せる。それだのに悩み萎れた自分の妻を馬に乗せて出掛るとなると、さあ、重荷を負《しょ》ったような苦痛《くるしみ》ばかりしか感じません。もうもう腹立しくもなるのでした。
それ、そういう男です。高慢な心の悲しさには、「自分が悪かった」と思いたくない。死んでも後悔はしたくない。女房の前に首を垂《さげ》て、罪過《あやまち》を謝《わび》るなぞは猶々出来ない。なんとか言訳を探出して、心の中の恐怖《おそれ》を取消したい。と思迷って、何故、お隅を打ったのかそれが自分にも分らなくなる。「痴《たわけ》め」と源は自分で自分を叱って、「成程、打ったのは己が打った、女房の命は亭主の命、女房の身体は亭主の身体だ。己のものを打ったからとて、何の不思議はねえ」弁解《いいほど》いて見る。思乱れてはさまざまです。源の心は明くなったり、暗くなったりしました。
馬は取付く虻《あぶ》を尻尾で払いながら、道を進んでまいりましたが、時々眼を潤ませては、立止りました。神経の鋭いものだけに、主人を懐しむことも恐れることも酷《はげ》しいものと見え、すこし主人に残酷な様子が顕れると、もう腰骨《こしぼね》を隆《たか》くして前へ進みかねる。
「そら牛馬《うしうま》め」
と源は怒気を含んで、烈しく手綱を引廻す。「意地が悪くて、遅いから、牛馬だ。そら、この牛め」
馬は片意地な性質を顕して、猶々出足が渋ってくる。
「やい戯※[#「※」は「ごんべん+虚」、93−9]《じょうだん》じゃねえぞ。余程《よっぽど》、この馬は与太馬(駑馬《どば》)だいなあ。こんな使いにくい畜生もありゃあしねえ」
長い手綱を手頃に引手繰《ひきたぐ》って、馬の右の股《もも》を打つ。
「しッ、しッ、そら、おじいさん」
馬は渋々ながら出掛けるのでした。
晴れて行く高原の霧のなが
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