ばたばたさせる。書記は煙管《なたまめ》の雁首《がんくび》で虫を押えたかと思うと、炉の灰の中へ生埋めにしました。
「先生」と源は放心した人のように灰の動く様を熟視《みつ》めて、「先刻の御話でごわすが、足の骨を折られて死んだものがごわしょうか」
「有ますとも。足の傷はあれでなかなか馬鹿にならん。現在、私の甥《おい》がそれだ――撃《ぶ》ち処《どこ》が悪かったと見えて、直に往生《まい》って了った。人間の命は脆《もろ》いものさ……見給え、この虫の通りだ」
「ははははは」と源は愚かしい目付をして、寂しそうに笑って、「万一、その女が死にでもしたら、先生、奴さんの方はどうなりやしょう」
「そりゃあ君、知れきってる話さ。無論、捕《つかま》らあね。人を殺して置いて自分ばかり助かるという理屈はないからな」
「ははははは」
源は反返《そりかえ》って笑いました。人間は時々心と正反対《うらはら》な動作《こと》をやる――源の笑いが丁度それです。話好な書記は乗気になって、
「あの子についちゃ実にかわいそうな話があるんでね。私はお隅さんを見ると、罅痕《ひびたけ》の入った茶椀《ちゃわん》を思出さずにいられやせんのさ。まあ聞いてくれ給え」
と前置をして、話出したのはこうでした。
お隅の父親《おやじ》がこの男と同じ書記仲間で大屋の登記役場に勤めている時分――お隅も大屋へ来て、唯有《とあ》る家に奉公していました。根が働好な女で、子供の世話、台所の仕事、そりゃあもう何から何まで引受けて、身を粉にして勤めましたから、さあ界隈《かいわい》でも評判。お隅が遠い井戸から汲々《せっせ》と水を担いで通るところを見掛けた者は、誰一人|褒《ほ》めないものが無い位。主人の家というのは少許《すこし》引込んだ処に在って、鉄道の踏切を通らねば、町へ買物に出ることが出来ないのでした。お隅はよく主人の子供を負《おぶ》って、その踏切を往たり来たりした。丁度、そこに線路番人が見張をして佇立《たたず》んでいて、お隅の通る度《たび》に言葉を掛ける。終《しまい》には、お隅の見えるのを楽みにして待っている、という風になりましたのです。ある日のこと、番人が休暇で自分の家の前に立っていると、そこをお隅は子供を負《おぶ》いながら通りました。お隅は無理やりに呼込まれて――その番人というのは、すばらしい力のある奴ですから、さんざんに嚇《おど》かされたり
前へ
次へ
全27ページ中15ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング