の、足腰の締《しま》った、雑種らしい灰色なんです。樺が場を踏んだ証拠は、馬の扱いが柔かで、ゆったりとしていて、加《おまけ》に捜りを入れるような目付をして、他の四人の呼吸を図っているのでも分る。それにこの男の静な、冷い態度《ようす》と言ったら――それは底の知れないような用心深いところがあって、一歩《ひとあし》でも馬に無駄を踏ませまいと、たくらんでいるらしい。源は大違です。あまり心が激《あせ》り過ぎて、乗出さぬ先から手綱を持《もつ》手が震えました。
相図を聞くが早いか、五人の乗手はもう出発の線を離れる。真先に乗進んだのが源の青、次が紫、白、赤でした、樺は乗|後《おく》れて見えました。「青、青」の叫び声は埒の四方から起る。殿下は御仮屋の紫の幕のかげに立たせられ、熱心に眺入らせ給うのでした。大佐は幾度馬博士の肩を叩《たた》いたか知れません。知事も、郡長も、御附の人々も総立です。参事官は白いしなやかな手を振りました。五人の乗手は丁度乗出した時と同じ順で、五十間ばかりの距離を波打つように乗進んで行った。源が紫に先んじたことは、樺が赤に後れたと同じ程の距離です。ですから源が振返って後を見た時は、舞揚る黄色い土烟《つちけむり》の中に、紫と白とがすれすれに並び進んで、乗迫って来たのを認めたばかり。懼《おそ》るべき灰色の馬頭は塵埃《ほこり》に隠れて見えませんのでした。驚破《すわや》、白は紫を後に残して、真先に進む源をも抜かんとする気勢《けはい》を示して、背後に肉薄して来た。「青」、「白」の声は盛に四方から起る。源も、白も、馬に鞭《むちう》って進みました。競馬好きな馬博士は、「そこだ、そこだ」とばかりで、身を悶《もだ》えて、左の手に持った山高帽子の上へ頻《しきり》と握拳《にぎりこぶし》の鞭をくれる。大佐は薄鬚《うすひげ》を掻※[#「※」は「てへん+劣」、77−9]《かきむし》りました。今、源は百間ばかりも進んだのでしょう。馬は泡立つ汗をびっしょり発《かい》て、それが湯滝のように顔を伝う、流れて目にも入る。白い鼻息は荒くなるばかりで、烈しく吹出す時の呼吸に、やや気勢の尽きて来たことが知れる。さあ、源は激《あせ》らずにおられません。こうなると気を苛《いら》って妄《やたら》に鞭を加えたくなる。馬は怒の為に狂うばかりになって、出足が反《かえっ》て固くなりました。遽《にわか》に「樺、樺」と呼ぶ声
前へ
次へ
全27ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング