來て呉れるものが有りません。斯の刑罰は子供心にも甘んじて受けなければ成らないやうなものでした。私は皆なの夕飯の終る頃まで、心細く立ち續けました。
 斯ういふ時に、私の側へ來て言ひ宥《なだ》めたり、皆なに御詫をして呉れたりしたのは、お牧といふ下婢《をんな》です。目上の兄達が奧の方へ行つた後で、お牧は私の膳を爐邊へ持つて來て勸めて呉れましたが、到頭其晩は食ひませんでした。
 私の生れた家では、子供に一人づゝ下婢を附けて養ふ習慣でして、多くは出入のものの娘から取りました。私に附いたお牧は髮結の家の娘でした。理髮店といふものは未だ私の故郷には無かつた頃ですから、お牧の父親が髮結の道具――あの引出の幾つも附いた、鬢着油などのにほひのする、古い汚れた箱を携《さ》げてよく吾家《うち》へ出入したことや、それから彼《あ》の穢い髮結が背後《うしろ》に立つて父の腮《あご》などをゴシ/\とやつたことは、未だに私の眼に着いて居ます。お牧の父親と言へば土地でも有名な穢い男でした。その娘に養はれると言つて、よく私は他《ひと》から調戲《からか》はれたものです。でも、お牧は乳を呑ませないといふばかりで、其他のことは殆ど
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