又今日までの私自身の生涯を辿つて見るに、斯の家に附いた空氣は何處までも同じやうに流れて行つて居ますから、それは實に爭はれないものだと思ひます。私の父はあれでもいくらか横笛を吹いたといふことですが、私の兄弟で好い耳を持つて居るやうなものは一人も居りません。あの甥の造つた家庭には、別に樂器を置かないまでも、何處かに音樂の空氣の流れた好ましいところが有りました。あの甥の一生がそれでした。私は自分自身がもうすこし寛濶であつても好いと思ふことは度々ですが、しかしそれを奈何することも出來ません。私が今住む家は殆んど周圍《まはり》を音樂で取繞《とりま》かれて居るやうなところにあります。表へ出れば一中節の師匠、裏へ行けば常磐津の家元、左樣いふ町の中に住ひながら、未だに私は自分の家へやはらかな空氣を取入れることも出來ずに居ります。
それから比べて見ますと、繪畫に趣味を有つことは――私はその性質を身に近い女達にも、自分の子供にも見つけることが出來るやうに思ひます。私自身にも繪畫を好むことは天性に近いやうな氣がします。少年の時代から、いくらか進んだ普通教育を受けるまで、私は最もそれを得意にしました。斯の傾
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