せんでした。
御承知の通り、狹い田舍では大抵の家が遠い親類の形に成つて居ます。左樣いふ家の一つに、丁度お文さんと同い年ぐらゐな娘がありました。惡戲《いたづら》好きな學校の朋輩は、その娘の名と私の名とを並べて書いて見たり、課業を終つて思ひ/\に歸つて行く頃には、杉の樹のあるお寺の坂の上あたりから、大きな聲で呼ばつたりしたものです。
それを聞くと私は、
『糞を喰《くら》へ。』
といふ風で、吾家を指して歸りました。
それから九歳《こゝのつ》の秋に東京へ遊學に出掛けるまで、私の好きなことは山家の子供らしい荒くれた遊びでした。次第に私は遠く行くやうに成つて、男の友達と一緒に深い澤の方まで虎杖《いたどり》の莖などを折りに行き、『カルサン』といふ勞働の袴を着けた太助の後に隨いて、松薪《まつまき》の切倒してある寂しい山林の中を歩き※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]り、路傍《みちばた》に『酸《す》い葉《ば》』でも見つけると、それを生でムシヤ/\食ひました。太助とは、山の神の祠《ほこら》のあるところへ餅を供へにも行つたことが有ります。都會の子供などと違ひ、玩具も左樣《さう》自由に手
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