逃げてばかり居たものですから、金米糖《こんぺいたう》を褒美に呉れるから叩けとか、按摩賃を五厘づゝ遣るから頼むとか言ひました。
『享保、元祿……』
 私達は父の肩につかまつて、御經でもあげるやうに暗誦しました。
 何ぞといふと父が私達に話して聞かせることは、人倫五常の道でした。私は子供心にも父を敬ひ、畏れました。しかし父の側に居ることは窮屈で堪りませんでした。それに父が持病の癇《かん》でも起る時には、夜眠られないと言つて、紙を展げて、遲くまで獨りで物を書きました。その蝋燭を持たせられるのが私でしたが、私は唯眠くて成りませんでした。
 斯うした嚴格な父の書院を離れて、仲の間の方へ行きますと、そこには母や嫂が針仕事をひろげて居ります。私は武者繪の敷寫しなどをして、勝手に時を送りました。母達の側には別に小机が置いてあつて、隣の家の娘がそこで手習ひをしました。お文《ぶん》さんと言つて、私と同年で、父から讀書《よみかき》を受ける爲に毎日通つて來たのです。父を『お師匠樣』と呼んだのは斯の娘《こ》ばかりでなく、村中の重立つた家の子はあらかた父の弟子でした。中には隣村から通つて來るものも有りました。
 
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