御地の青い林檎は斯のあたりの店頭《みせさき》にあるものと異なり樹から※[#「てへん+宛」、第3水準1−84−80]《も》ぎ取つたばかりのやうな新鮮を味ひました。御蔭で子供も次第に成人して參ります。函館の老爺《ぢゝ》上京の節も、孫達の顏を眺めて、稀《たま》に出て來て見ると大した違ひだと申した位です。私がたはむれに弟の方の子供を抱き上げて見て、更に兄の方を抱き上げながら大分重くなつたと申しましたら、兄の子供はさも嬉しさうに首をすくめて笑ひました。
『重くなつたと言はれるのが、そんなに嬉しいの?』
 と側に居る娘も笑ひながら言ひました。
 毎日長い黐竿《もちざを》を持つて町の空へ來る蜻※[#「虫+廷」、391−8]《とんぼ》を追ひ※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]して居た兄の子供も、復た/\夏休み前と同じやうに鞄を肩に掛けて、學校へ通ふやうに成りました。近所の毛筆屋《ふでや》の子で眼のパツチリとした同級生が毎朝誘ひ合せては出掛けますが、ある夕方、その子が遊びに來て門口から私の家を覗きました。瓦斯《ガス》とか電燈とかで明るい屋並の中に、吾家《うち》ではまだ洋燈《ランプ》を用ひて居ます。
『洋燈を點けてるのかい――隨分舊弊だねえ。』
 とその八つに成る毛筆屋の子が申しました。流石《さすが》都會に育つ子供はマセた口の利きやうをすると思ひました。
 八月の末から九月の初へかけて毎年のやうに降る大雨が今年は一時にやつて來て、乾き切つた町々を濡らしました。隅田川も濁つて灰汁《あく》を流したやうに成りました。狹い町中とは言ひながら、早や秋の蟲が縁の下の方でしきりに鳴きます。冷々《ひや/\》とした部屋の空氣の中でその鳴聲を聞きながら、毛筆屋の子に笑はれた洋燈の下で、私は斯の手紙を書き續けます。
 少年の私が銀さんと一緒に東京へ遊學することに成りました時は、銀さんが數へ年の十二、私が九つでした。まだ他にお文さんの二番目の兄さんも眼の療治のために同行することに成りました。
 その日も近づいた頃、銀さんは裏の梨の樹の下あたりに腰掛けて、兄貴に東京行の頭を刈つて貰ひました。村には理髮店といふものも無い時でしたから、兄貴が襷掛で、掛る布も風呂敷か何かで間に合せて、銀さんの髮を短く剪《はさ》みました。私の方はまだ一向な子供でしたから、髮も長く垂下げたまゝで可からうと言はれました。私は
前へ 次へ
全47ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング