た。
 私はひとりで、例の地下室のような四畳半の窓へ近く行った。そこいらはもうすっかり青葉の世界だった。私は両方の拳《こぶし》を堅く握りしめ、それをうんと高く延ばし、大きなあくびを一つした。
 「大都市は墓地です。人間はそこには生活していないのです。」
 これは日ごろ私の胸を往《い》ったり来たりする、あるすぐれた芸術家の言葉だ。あの子供らのよく遊びに行った島津山《しまづやま》の上から、芝麻布《しばあざぶ》方面に連なり続く人家の屋根を望んだ時のかつての自分の心持ちをも思い合わせ、私はそういう自分自身の立つ位置さえもが――あの芸術家の言い草ではないが、いつのまにか墓地のような気のして来たことを胸に浮かべてみた。過ぐる七年のさびしい嵐《あらし》は、それほど私の生活を行き詰まったものとした。
 私が見直そうと思って来たのも、その墓地だ。そして、その墓地から起き上がる時が、どうやら、自分のようなものにもやって来たかのように思われた。その時になって見ると、「父は父、子は子」でなく、「自分は自分、子供は子供ら」でもなく、ほんとうに「私たち」への道が見えはじめた。
 夕日が二階の部屋《へや》に満ちて来
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