――私は私だけのお祝いを申し上げに来たい。」
八十歳あまりになる人の顔にはまだみずみずしい光沢《つや》があった。私はこの隣家のお婆さんの孫にあたる子息《むすこ》や、森さんなぞと一緒に同じ食卓についていて、日ごろはめったにやらない酒をすこしばかりやった。太郎はまたこの新築した二階の部屋《へや》で初めての客をするという顔つきで、冷《さ》めた徳利を集めたり、それを熱燗《あつかん》に取り替えて来たりして、二階と階下《した》の間を往《い》ったり来たりした。
「太郎さんも、そこへおすわり。」と、私は言った。「森さんのおかあさんが丹精《たんせい》してくだすったごちそうもある――下諏訪《しもすわ》の宿屋からとうさんの提《さ》げて来た若鷺《わかさぎ》もある――」
「こういう田舎《いなか》にいますと、酒をやるようになります。」と、森さんが、私に言ってみせた。「どうしても、周囲がそうだもんですから。」
「太郎さんもすこしは飲めるように、なりましたろうか。」と、私は半分|串談《じょうだん》のように。
「えゝ、太郎さんは強い。」それが森さんの返事だった。「いくら飲んでも太郎さんの酔ったところを見た事が
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