した。過ぐる七年の間のことは、そこの土にもここの石にもいろいろな痕跡《こんせき》を残していた。
いつのまにか末子は黒板の前を離れて、霜どけのしている庭へ降りて行った。
「次郎ちゃん、芍薬《しゃくやく》の芽が延びてよ。」
末子は庭にいながら呼んだ。
「蔦《つた》の芽も出て来たわ。」
と、また石垣《いしがき》の近くで末子の呼ぶ声も起こった。
遠い山地のほうにできかけている新しい家が、別にこの私たちに見えて来た。こんな落ちつかない気持ちで今の住居《すまい》に暮らしているうちにも、そのうわさが私たちの間に出ない日はなかった。私は郷里のほうに売り物に出た一軒の農家を太郎のために買い取ったからである。それを峠の上から村の中央にある私たちの旧家の跡に移し、前の年あたりから大工を入れ、新しい工事を始めさせていた。太郎もすでに四年の耕作の見習いを終わり、雇い入れた一人《ひとり》の婆《ばあ》やを相手にまだ工事中の新しい家のほうに移ったと知らせて来た。彼もどうやら若い農夫として立って行けそうに見えて来た。
いったい、私が太郎を田舎《いなか》に送ったのは、もっとあの子を強くしたいと考えたからで
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