。
しかし、私は子供をしかって置いては、いつでもあとで悔いた。自分ながら、自分の声とも思えないような声の出るにあきれた。私はひとりでくちびるをかんで、仕事もろくろく手につかない。片親の悲しさには、私は子供をしかる父であるばかりでなく、そこへ提《さ》げに出る母をも兼ねなければならなかった。ちょうど三時の菓子でも出す時が来ると、一人《ひとり》で二役を兼ねる俳優のように、私は母のほうに早がわりして、茶の間の火鉢《ひばち》のそばへ盆を並べた。次郎の好きな水菓子なぞを載せて出した。
「さあ、次郎ちゃんもおあがり。」
すると、次郎はしぶしぶそれを食って、やがてきげんを直すのであった。
私の四人の子供の中で、三郎は太郎と三つちがい、次郎とは一つちがいの兄弟《きょうだい》にあたる。三郎は次郎のあばれ屋ともちがい、また別の意味で、よく私のほうへ突きかかって来た。何をこしらえて食わせ、何を買って来てあてがっても、この子はまだ物足りないような顔ばかりを見せた。私の姉の家のほうから帰って来たこの子は、容易に胸を開こうとしなかったのである。上に二人《ふたり》も兄があって絶えず頭を押えられることも、三郎を
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