ちゃんにも月給。」
 と、私は言って、茶の間の廊下の外で古い風琴《オルガン》を静かに鳴らしている娘のところへも分けに行った。その時、銀貨二つを風琴《オルガン》の上に載せた戻《もど》りがけに、私は次郎や三郎のほうを見て、半分|串談《じょうだん》の調子で、
 「天麩羅《てんぷら》の立食《たちぐい》なんか、ごめんだぜ。」
 「とうさん、そんな立食なんかするものか。そこは心得ているから安心しておいでよ。」と次郎は言った。
 楽しい桃の節句の季節は来る、月給にはありつく、やがて新しい住居《すまい》での新しい生活も始められる、その一日は子供らの心を浮き立たせた。末子も大きくなって、もう雛《ひな》いじりでもあるまいというところから、茶の間の床には古い小さな雛と五人|囃子《ばやし》なぞをしるしばかりに飾ってあった。それも子供らの母親がまだ達者《たっしゃ》な時代からの形見《かたみ》として残ったものばかりだった。私が自分の部屋に戻《もど》って障子の切り張りを済ますころには、茶の間のほうで子供らのさかんな笑い声が起こった。お徳のにぎやかな笑い声もその中にまじって聞こえた。
 見ると、次郎は雛壇《ひなだん》の
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