った事は、自ら病気であると云ったほど、激しい性質のものらしかった。そういう性質はずっと後になっても、眉宇《びう》の間に現われていて、或る人々から誤解されたり、余り好かれなかったりしたというのは、そんな点の現われた所であったろうと思う。まだ二十位の青年の時代に或る時は東洋の救世主を以て任ずるような空想な日を送って、後になって、余り自分の空想が甚だしかった事と、その後に起る失望、落胆の激しい事に驚いた、と書いたものなぞもある。或る時は又一個の大哲学家となって、欧洲の学者を凹ませようと考えた事もあって、その考えは一年の間も続いて、一分時間も脳中を去らなかった。こういう妄想を、而《しか》も斯ういう長い年月の間、頭脳《あたま》の裏《うち》に入れて置くとは、何という狂気染《きちがいじ》みた事だろう、と書いたものなぞがあるが、頭脳が悪かったという事は、時々書いたものにも見えるようである。北村君はある点まで自分の Brain Disease を自覚して居て、それに打勝とう打勝とうと努めた。北村君の天才は恐るべき生の不調和から閃き発して来た。で、種々な空想に失望したり、落胆したりして、それから空しい功名
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