、そういうあなたのお考えでしたら、なぜもっと早くそれを言い出して、お師匠さまを救ってはくださらなかったんです。」
と言った。松雲にして見ると、一切は勢いであって、和尚の力にもどうすることもできなかった。もし半蔵が勢いに逆らおうとしなかったなら、あんなに衆のために圧倒されるようなことはなかったであろう。松雲はそれを勝重らに言って、見殺しにするつもりもなく半蔵を見殺しにしたと嘆息した。
「しかし、お二人の前ですが、今度という今度はつくづくわたしも世の無常を思い知りました。」
とまた松雲は静かに言い添えて、小さな葛籠《つづら》の風呂敷包《ふろしきづつ》みにしてあるのを取り出して来た。あだかも、和尚の本心はその中にこめてあるというふうに。驚くべきことには、遠からず和尚にやって来る七十の齢《よわい》を期して、長途の旅に上る心じたくがそこにしてあった。
松雲には日ごろからたたかうまいとしていたことが四つある。命とたたかわず、法とたたかわず、理とたたかわず、勢とたたかわずというのがそれだ。その時、和尚は半蔵が焼こうとした寺にも決してなんらの執着を持たないおのれの立場を明らかにして、それをもって故人への回向《えこう》に替えようとしていた。ただ法務と寺用とをこのままに放棄するのは師恩に報ゆべき道でないとなし、それには安心して住持の職を譲って行けるまでにもっと跡目相続の弟子を養い、雨漏りのする本堂の屋根の修繕をも成し遂げ、一切心残りのないようにして置いて、七十の声を聞いたならばその時こそは全国|行脚《あんぎゃ》をこころざし、一本の錫杖《しゃくじょう》を力に、風雲に身を任せ、古聖も何人《なんぴと》ぞと発憤して、戦場に向かうがごとくに住み慣れた馬籠の地を離れて行きたいことなぞを勝重らの前に打ち明けた。和尚はあとの住持のために万福寺年中行事なるものの草稿を作り、弟子の心得となるべき禅門の教訓をもいろいろと認《したた》めて、仏世の値《あ》いがたく、正法の聞きがたく、善心の起こしがたく、人身の得がたく、諸根のそなえがたいことを教えて置いて行こうとしてあった。手回しのいいこの和尚はすでに旅の守り袋を用意したと言って、青地の錦《にしき》の切地《きれじ》で造ったものをそこへ取り出して見せた。梵文《ぼんぶん》の経の一節を刻んであるインド渡来の貝陀羅樹葉《ばいだらじゅよう》、それを二つ折りにして水天宮《すいてんぐう》の守り札と合わせたものがその袋の中から出て来た。古人も多く旅に死せるありとやら。いずこに露命は果てるとも測りがたいおもんぱかりから、この寺に残し置くべき辞世までも和尚は用意してある。それには紙の上に一つの円が力をこめて書きあらわしてあり、その奥には禅家らしい偈《げ》も書き添えてある。前途幾百里、もしその老年の出発の日が来て、西は長崎の果てまでも道をたどりうるようであったら、遠く故郷の空を振り返って見る一人の雲水僧《うんすいそう》のあることを記憶して置いてくれよとの話も出た。
やがて勝重は伏見屋主人と共に和尚のもとを辞した。万福寺の山門を出てから、彼は連れを顧みて言った。
「まあ、お師匠さまもあんな最後をなすったんじゃ、だれだって寝ざめがよかありません。厚く葬ってあげるんですね。」
二代目もうなずいた。
幸い雨もあがって、どうかと天候の気づかわれた次ぎの日の葬儀もまずこの調子では無事に済まされそうであった。勝重らは半蔵埋葬の場所を見回るため万福寺の山腹について古い墓石の並び立つ墓地の間の細道を進んで行った。そこは杉の木立ちの間である。半蔵の祖父半六、父吉左衛門、それから今の伏見屋主人には祖父に当たる金兵衛、先代伊之助、それらの故人となった人たちが永《なが》く眠っているところである。ゆうべの雨にぬれて、ある墓石はまだ湿り、ある墓石はかわきかけていたが、そのそばを通り過ぎて杉の木立ちも尽きたところまで行くと、新開の墓地から立ちのぼる焚火《たきび》の烟《けむり》が目につく。旧本陣の下男佐吉は百姓の兼吉や桑作を墓掘りの相手にして、そこに働いていた。
ちょうど勝重らがその位置に行って立って見た時は、一歩《ひとあし》先に見回りに来ている清助とも一緒になった。寺から譲られたその畠の地所もすでにあらかた地ならしを済まし、周囲の藪《やぶ》も切り開いてあって、なだらかな傾斜の地勢から谷の向こうに恵那山麓《えなさんろく》の馬籠の村を望むこともできる。この眺望《ちょうぼう》のある位置はいかにも師匠にふさわしいと言って、よい場所が手に入ったとよろこぶものは、ひとり勝重ばかりではなかった。兼吉や桑作までときどき鍬《くわ》を休めに焚火のそばへ来て、お師匠さまの墓|掃除《そうじ》にはまた皆で来てあげるなぞと語り合うのであった。饅頭《まんじゅう》のかたちに土を盛り上げた新しい塚《つか》、「青山半蔵之|奥津城《おくつき》」とでもした平田門人らしい白木の墓標なぞが、もはやそこに集まるものの胸に浮かんだ。時が来れば、その塚の上をおおう青い芝草の想像までも。
「清助さ、遠方の通知はもうすっかり出したろうか。」
「さあ、もれたところはないつもりですがね。」
「東京の平田家へは。」
「それを落とすようなことはしません。熱田《あつた》の暮田正香《くれたまさか》先生のところへも。」
「そう言えば、森夫さまや和助さまはどうなさるだろう。お父《とっ》さんのお葬式に、お二人ともお帰りにはなるまいか。」
「それがです。中津川から父上死去の電報は打ちましたがね、お帰りになるがいいともなんとも言ってあげたわけじゃない。宗太さまからもその話はありません。たぶん、和助さまたちは、お見えにはなりますまい。」
清助と伏見屋主人や勝重との間には、しばらくこんな立ち話がはずんだ。そこへ三郎と益穂の二人も勝重らを探《さが》しに杉の枯れ葉の落ちた細道を踏んで、お粂夫婦が妻籠の連中と共に旧本陣の方へ着いたことを告げ知らせに来た。
こうして一同が集まって見ると、いずれもようやく重荷をおろしたような顔ばかり。その人の晩年にはとかくの評判のあった青山半蔵ではあるが、しかし亡《な》くなった後になって見ると、やっぱりお師匠さまはお師匠さまであったという話が出る。星移り、街道は変わって、今後お師匠さまのような人はこの山の中には生まれて来まいとの話も出る。お粂らの到着と聞いても、一同はすぐ墓地を離れようとしなかった。その中でも清助は深いため息をついて、
「あのお師匠さまも、しまいにはずいぶん人をてこずらせた。楠正成の屎合戦《くそがっせん》だなんて言い出して――からだを洗ってあげたいにも、手のつけようもない。あんな困ったこともなかった。よくあれでなんともなかったものだと思う……今になっておれも考えて見ると、あのお師匠さまの疳《かん》の起こってる時には、何をなすってもからだに障《さわ》らなかった。すこし気分も静まって来たかと思うと、今度はからだの方が弱っていらしった……」
と清助は清助らしいことを言い出す。年若な三郎はその話を引き取って、
「でも、お師匠さまも惜しいことをした。もうすこしからだが続いたら、あんな木小屋から出してあげられたんだ。そりゃだれがなんと言ったって、お師匠さまのような清い人はめったにない――あんな人をおれは見たことがない。」
「そうだ、三郎さんの言うとおりだ。せめてもう十年お師匠さまを生かして置きたかったよ。」
勝重の嘆息だ。
その日には奥筋の方から着いたお粂らを迎えて半蔵の霊前に今一夜語り明かそうという手はずも定《き》めてある。やがて墓地には一人去り、二人去りして、伏見屋主人や清助から若い弟子たちまでもと来た細道を引き返して行ったが、勝重のみはまだそこに残って、佐吉らが墓穴を掘るさまをながめたたずんだ。
その時になって見ると、旧庄屋として、また旧本陣問屋としての半蔵が生涯もすべて後方《うしろ》になった。すべて、すべて後方になった。ひとり彼の生涯が終わりを告げたばかりでなく、維新以来の明治の舞台もその十九年あたりまでを一つの過渡期として大きく回りかけていた。人々は進歩をはらんだ昨日の保守に疲れ、保守をはらんだ昨日の進歩にも疲れた。新しい日本を求める心はようやく多くの若者の胸にきざして来たが、しかし封建時代を葬ることばかりを知って、まだまことの維新の成就する日を望むこともできないような不幸な薄暗さがあたりを支配していた。その間にあって、東山道工事中の鉄道幹線建設に対する政府の方針はにわかに東海道に改められ、私設鉄道の計画も各地に興り、時間と距離とを短縮する交通の変革は、あだかも押し寄せて来る世紀の洪水《こうずい》のように、各自の生活に浸ろうとしていた。勝重は師匠の口からわずかにもれて来た忘れがたい言葉、「わたしはおてんとうさまも見ずに死ぬ」というあの言葉を思い出して悲しく思った。
「さあ、もう一息だ。」
その声が墓掘りの男たちの間に起こる。続いて「フム、ヨウ」の掛け声も起こる。半蔵を葬るためには、寝棺を横たえるだけのかなりの広さ深さもいるとあって、掘り起こされる土はそのあたりに山と積まれる。強いにおいを放つ土中をめがけて佐吉らが鍬《くわ》を打ち込むたびに、その鍬の響きが重く勝重のはらわたに徹《こた》えた。一つの音のあとには、また他の音が続いた。
[#地から2字上げ]「夜明け前」第二部――終
底本:「夜明け前 第二部(下)」岩波文庫、岩波書店
1969(昭和44)年2月17日第1刷発行
1995(平成7)年12月15日第26刷発行
底本の親本:「改版本『夜明け前』」新潮社
1936(昭和11)年7月発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋、小林繁雄
校正:砂場清隆
2001年7月4日公開
2009年11月20日修正
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