んさい》、旧幕府の大目付《おおめつけ》で外国奉行を兼ねた山口|駿河守《するがのかみ》なぞまで――御一新以前だけでも、それらの歴史の上の人物はいずれもこの旧本陣に時を送って行った。それを記念する意味からも、おまんは自分の忘れがたい旦那と生涯《しょうがい》を共にしたこの青山の家をそう粗末には考えられないとしていた。たとい、城を枕《まくら》に討《う》ち死《じ》にするような日がやって来ても、旧本陣の格式は崩《くず》したくないというのがおまんであった。
 お民は母屋《もや》の方へ戻《もど》りかける時に言った。
「お母《っか》さん、あなたのようにそう心配したらきりがない。見ていてくださいよ。わたしもこれから精いっぱい働きますからね。そう言えば、稲葉の家の方からは、来月の二十二日か、二十三日が、日が良いと言って来てありますよ。まあ、わたしもぐずぐずしちゃいられない。」

       三

 その月の末、平田同門の先輩の中でもことに半蔵には親しみの深い暮田正香《くれたまさか》の東京方面から木曾路《きそじ》を下って来るという通知が彼のもとへ届いた。
 半蔵は久しぶりであの先輩を見うるよろこびを妻に分け
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