れて行けと言ってくれた。
 午後には五平の方から半蔵を訪《たず》ねて来て、短冊《たんざく》を取り寄せたり、互いに歌をよみかわしたりするような、ささやかな席が開けた。そこへ紅《あか》い毛氈《もうせん》を持ち込み、半折《はんせつ》の画箋紙《がせんし》なぞをひろげ、たまにしか見えない半蔵に何か山へ来た形見を残して置いて行けと言い出すのは禰宜だ。子息も来て、そのそばで墨を磨《す》った。そこいらには半蔵が馬籠から持って来た歌書なども取り散らしてある。簀巻《すま》きにして携えて来た筆も置いてある。求めらるるままに、彼は自作の旧《ふる》い歌の一つをその紙の上に書きつけた。
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おもふどちあそぶ春日《はるひ》は青柳《あおやぎ》の千条《ちすじ》の糸の長くとぞおもふ    半蔵
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 五平はそのそばにいて、
「これはおもしろく書けた。」
「でも、この下の句がわたしはすこし気に入らん。」と半蔵は自分で自分の書いたものをながめながら、「思うという言葉が二つ重なって、どうも落ちつかない。」
「そんなことはない。」
 と五平は言っていた。
 時には、半蔵は席を離れて、なが
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