村から入り込んで来る農家の男女もすくなくない。一里二里の山路を通って来る娘たちなぞは、いずれも一年に一度の祭礼狂言を見ることを楽しみにしないものはない。あのいたいけな馬籠の子供たちがそろいの黒い半被《はっぴ》に、白くあらわした大きな定紋《じょうもん》を背中に着け、黄色な火の用心の巾着《きんちゃく》を腰にぶらさげながら町を練り歩くなぞは、近年にはないことだと言われた。旧《ふる》い街道の空には笛や三味線の音も起こり、伏見屋の前あたりでは木曾ぶしにつれて踊りの輪を描く若者の群れの「なかのりさん」もはじまるというにぎやかさだ。これで旧本陣のお師匠さまが引き起こしたような思いがけない出来事もなくて、一緒にこの祭りの日を楽しむことができたならと、それを言わないものもなかった。
 どうして半蔵のような人が青山の家に縁故の深い万福寺を焼き捨てようと思い立ったろう。多くの村民にはどこにもその理由が見いだせなかった。なぜかなら、遠い昔に禅宗に帰依《きえ》した青山の先祖道斎が村民のために建立《こんりゅう》したのも万福寺であり、今日の住持|松雲和尚《しょううんおしょう》はまたこんな山村に過ぎたほどの人で、その
前へ 次へ
全489ページ中430ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング