には、彼は中仙道《なかせんどう》の方を回らないで美濃路から東海道筋へと取り、名古屋まで出て行った時にあの城下町の床屋で髪を切った。多年古代紫の色の紐《ひも》でうしろに結びさげていた総髪の風俗を捨てたのもその時であった。彼は当時の旅人と同じように、黒い天鵞絨《びろうど》で造った頭陀袋《ずだぶくろ》なぞを頸《くび》にかけ、青毛布《あおげっと》を身にまとい、それを合羽《かっぱ》の代わりとしたようなおもしろい姿であったが、短い散髪になっただけでもなんとなく心は改まって、足も軽かった。当時は西の京都|神戸《こうべ》方面よりする鉄道工事も関ヶ原辺までしか延びて来ていない。東京と京都の間をつなぐ鉄道幹線も政府の方針は東山道に置いてあったから、東海道筋にはまだその支線の起工も見ない。時には徒歩、時には人力車や乗合馬車などで旅して行って、もう一度彼は以前の東京の新市街とは思われないほど繁華になった町中に彼自身を見いだした。天金《てんきん》の横町と聞いて行って銀座四丁目の裏通りもすぐにわかった。周囲には時計の修繕をする店、大小の箒《ほうき》の類《たぐい》を売る店、あるいは鼈甲屋《べっこうや》の看板を掛けた
前へ 次へ
全489ページ中381ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング