く、瀟洒《こざっぱり》とした感じを失ってはいなかった。たまの里帰りらしい手土産《てみやげ》をそこへ取り出すにも、祖母のおまんをはじめ宗太夫婦に話しかけるにも、彼女は都会生活の間に慣れて来た言葉づかいと郷里の訛《なま》りとをほどよくまぜてそれをした。背は高く、面長《おもなが》で、風采《ふうさい》の立派なことは先代|菖助《しょうすけ》に似、起居振舞《たちいふるまい》も寛《ゆるや》かな感じのする働き盛りの人が半蔵らの前に来て寛《くつろ》いだ。その人がお粂の旦那だ。その青年時代には同郷の学友から木曾谷第一の才子として許された植松弓夫だ。
弓夫は半蔵のことを呼ぶにも、「お父《とっ》さん」と言い、義理ある弟へ話しかけるにも「宗太君、宗太君」と言って、地方のことが話頭《はなし》に上れば長崎まで英語を修めに行ったずっと年少《としわか》なころの話もするし、名古屋で創立当時の師範学校に学んだころの話もする。弓夫は早く志を立てて郷里の家を飛び出し、都会に運命を開拓しようとしたものの一人《ひとり》であった。これは先代菖助が横死の刺激によることも、その家出の原因の一つであったであろう。弓夫は何もかも早かった。
前へ
次へ
全489ページ中358ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング