しい。古い歴史のあるこの地方のことを供奉の人々にも説き明かすような役割は何一つ彼には振り当てられなかった。その相談もなければ、沙汰《さた》もない。彼は土蔵の前の石垣《いしがき》のそばに柿の花の落ちている方へ行って、ひとりですすり泣きの声をのむこともあった。
恵那山のふもとのことで、もはやお着きを知らせるようなめずらしいラッパの音が遠くから谷の空気に響けて来た。当日一千人分の名物|栗強飯《くりこわめし》をお買い上げになり、随輦《ずいれん》の臣下のものに賜わるしたくのできていたという峠でのお野立ての時もすでに済まされたらしい。半蔵はあの路傍の杉《すぎ》の木立ちの多い街道を進んで来る御先導を想像し、山坂に響く近衛《このえ》騎兵の馬蹄《ばてい》の音を想像し、美しい天皇旗を想像して、長途の旅の御無事を念じながらしばらくそこに立ち尽くした。
六
明治十四年の来るころには半蔵も五十一歳の声を聞いた。その年の四月には、青山の家では森夫と和助を東京の方へ送り出したので、にわかに家の内もさみしくなった。
二人《ふたり》の子供は東京に遊学させる、木曾谷でも最も古い家族の一つに数えらる
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