な人を半蔵は四年あまりの飛騨生活の間に見つけた。もっとも、それは現存の人ではなく、深い足跡をのこして行った故人で、しかもかなりの老年まで生きた一人の翁《おきな》ではあったが。
まだ半蔵は狩野永岳《かのうえいがく》の筆になったというこの翁の画像の前に身を置くような気がしている。この人の建立《こんりゅう》した神社の内部に安置してあった木像のそばにも身を置くような気がしている。彼の胸に描く飛騨の翁とは、いかにも山人《やまびと》らしい風貌《ふうぼう》をそなえ、杉《すぎ》の葉の長くたれ下がったような白い粗《あら》い髯《ひげ》をたくわえ、その広い額や円味《まるみ》のある肉厚《にくあつ》な鼻から光った目まで、言って見れば顔の道具の大きい異相の人物であるが、それでいて口もとはやさしい。臼《うす》のようにどっしりしたところもある。この人が田中|大秀《おおひで》だ。
田中大秀は千種園《ちぐさえん》のあるじといい、晩年の号を荏野《じんや》翁、または荏野老人ともいう。本居宣長の高弟で、宣長の嗣子本居|大平《おおひら》の親しい学友であり、橘曙覧《たちばなあけみ》の師に当たる。その青年時代には尾張熱田の社司|
前へ
次へ
全489ページ中294ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング