ったが、しかし武の道のゆるがせにすべきでないことを教えたのもこの戦争であった。もし政府が人民の政府であることを反省しないで威と名の一方にのみ注目するなら、その結果は測りがたいものがあろうことを教えたのもまたこの戦争であった。まったく、一時はどんな形勢に陥らないとも知りがたかった。どうやら時勢はあと戻《もど》りし、物情は恟々《きょうきょう》として、半蔵なぞはその間、宮司の職も手につかなかった。
しかし、半蔵が飛騨での経験はこんな西南戦争の空気の中に行き悩んだというばかりではない。
飛騨の位山《くらいやま》は、平安朝の婦人が書き残したものにも「山は位山」とあるように、昔から歌枕《うたまくら》としても知られたところである。大野郡、久具野《くぐの》の郷《さと》が位山のあるところで、この郷は南は美濃の国境へおよそ十六里、北は越中《えっちゅう》の国境へ十八里、東は信濃の国境へ十一里、西は美濃の国境へ十里あまり。まずこの山が飛騨の国の中央の位置にある。古来帝都に奉り、御笏《おんしゃく》の料とした一位《いちい》の木(あららぎ)を産するのでも名高い。この山のふもとに置いて考えるのにふさわしいよう
前へ
次へ
全489ページ中293ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング