行った時に聞きつけた。このお頭《かしら》は、諸講中の下げ札や御休処《おやすみどころ》とした古い看板のかかった茶屋の軒下を出たりはいったりして、そこに彼を出迎えていてくれたのだ。伏見屋金兵衛の記念として残った芭蕉《ばしょう》の句塚《くづか》までが、その木曾路の西の入り口に、旅人の目につく路傍の位置に彼を迎えるように見えている。
伏見屋と言えば、伊之助はその時もはやこの世にいない人であった。半蔵が飛騨の山の方で伊之助の亡《な》くなったのを聞いて来たのはその年の暑いさかりのころに当たる。彼は伏見屋からの通知を受け取って見て、かねて病床にあった伊之助が養生もかなわず、にわかに病勢の募ったための惜しい最期であったことを知った。享年四十五歳。遺骸《いがい》は故人の遺志により神葬にして万福寺境内の墓地に葬る。なお、長男一郎は二代目伊之助を襲名するともその通知にあった。とうとう、半蔵は伊之助の死に目にもあわずじまいだ。馬籠荒町の村社|諏訪《すわ》分社の前まで帰って来た時、彼は無事な帰村を告げに参詣《さんけい》したり、禰宜《ねぎ》松下千里の家へも言葉をかけに立ち寄ったりすることを忘れなかったが、かつて
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