は琉球《りゅうきゅう》の菰包《こもづつみ》にして、平兵衛と共に馬荷に付き添いながら左衛門町の門《かど》を離れた。
「どれ、そこまでわたしも御一緒に。」
 という多吉はあわただしく履物《はきもの》を突ッかけながら、左衛門橋の上まで半蔵らを追って来た。上京以来、半蔵が教部省への勤め通いに、町への用達しに、よく往復したその橋のほとりも、左衛門町の二階と引き離しては彼には考えられないようなものであった。その朝の河岸《かし》に近く舫《もや》ってある船、黒ずんで流れない神田川の水、さては石垣《いしがき》の上の倉庫の裏手に乾《ほ》してある小さな鳥かごまでが妙に彼の目に映った。


 王政復古以来、すでに足掛け八年にもなる。下から見上げる諸般の制度は追い追いとそなわりつつあったようであるが、一度大きく深い地滑《じすべ》りが社会の底に起こって見ると、何度も何度も余りの震動が繰り返され、その影響は各自の生活に浸って来ていた。こんな際に、西洋文物の輸入を機会として、種々雑多の外国人はその本国からも東洋植民地からも入り込みつつあった。それらのヨーロッパ人の中には先着の客の意見を受け継ぎ、日本人をして西洋文明を
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