先生もごゆっくりなすってください。」
「手打ち蕎麦、結構。」
 亭主と客とがこんな言葉をかわしているところへ、お隅も勝手の方から襷《たすき》をはずして来て、下女に膳《ぜん》をはこばせ、半蔵が身祝いにと銚子《ちょうし》をつけて出した。
「まったく、こういう時はお酒にかぎりますな。どうもほかの物じゃ納まりがつかない。」と恭順が言う。
 半蔵も着物を改めて来て簡素なのしめ膳《ぜん》の前にかしこまった。焼き海苔《のり》、柚味噌《ゆずみそ》、それに牡蠣《かき》の三杯酢《さんばいず》ぐらいの箸《はし》休めで、盃《さかずき》のやりとりもはじまった。さびしい時雨《しぐれ》の音を聞きながら、酒にありついて、今度の事件のあらましを多吉の前に語り出したのもその半蔵だ。彼の献扇は、まったく第一のお車を御先乗《おさきのり》と心得たことであって、御輦《ぎょれん》に触れ奉ろうとは思いもかけなかったという。あとになってそれを知った時は実に彼も恐縮した。彼の述懐はそこから始まる。何しろ民間有志のものの建白は当時そうめずらしいことでもなかったが、行幸の途中にお車をめがけて扇子を投進するようなことは例のない話で、そのために
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