た。なお、和算と洋算とを学校に併《あわ》せ用いたいとの彼の意見にひきかえ、筑摩県の当局者は洋算一点張りの鼻息の荒さだ。いろいろ彼はおもしろくなく思い、長居は無用と知って、そこそこに松本を去ることにした。ただ小倉啓助のような人を自分の村に得ただけにも満足しようとした。彼も心身の過労には苦しんでいた。しばらく休暇を与えられたいとの言葉をそこに残し、東京の新しい都を見うる日のことを想像して、やがて彼は塩尻《しおじり》、下諏訪《しもすわ》から追分《おいわけ》、軽井沢《かるいざわ》へと取り、遠く郷里の方まで続いて行っている同じ街道を踏んで碓氷峠《うすいとうげ》を下った。
半蔵が多くの望みをかけてこの旅に出たころは、あだかも前年十月に全国を震い動かした大臣参議連が大争いに引き続き戊辰《ぼしん》以来の政府内部に分裂の行なわれた後に当たる。場合によっては武力に訴えても朝鮮問題を解決しようとする西郷隆盛《さいごうたかもり》ら、欧米の大に屈して朝鮮の小を討《う》とうとするのは何事ぞとする岩倉大使および大久保利通《おおくぼとしみち》らの帰朝者仲間、かつては共に手を携えて徳川幕府打倒の運動に進み、共同の
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