まんえん》の時もあろう。この大根を切断する時は、枝葉もまた従って朽ちることは言葉を待たない。根本を根本とし、枝葉を枝葉とするに、どうしてこれが片手落ちであろう。そもそも仏法がこの国土に弘まったのは欽明帝《きんめいてい》十三年仏僧入朝の時であって、以来、大寺の諸国に充満し、王公貴人の信仰したことは言葉に尽くせない。過去数百年間、仏徒の横肆《おうし》もまた言葉には尽くせない。その徒も一様ではない。よいものもあれば、害のあったものもある。一得あれば一失を生ずる。ほまれそしりはそこから起こって来るが、仏徒たりとも神国の神民である以上、神孫の義務を尽くして根本を保全しなければならぬ。その義務を尽くすために神道教導職の一端に加わるのは、だれがこれを片手落ちと言えよう。今や御一新と言い、社会の大変革と言って、自分らごときはあだかも旧習を脱せざるもののように見なさるるのもやむを得ない。ただ仏祖の旧恩を守って、道を道とするに、どうして片手落ちの異見を受くべきであろうぞ。朝旨に戻《もと》らず、三条の教憲を確《しか》と踏まえて、正を行ない、邪をしりぞけ、権衡《けんこう》の狂わないところに心底を落着せしめるな
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