《にんべつちょう》離脱の運動を開始したのは慶応元年のころに当たる。義髄はそのために庄屋の職を辞し、京都寺社奉行所と飯田千村役所との間を往復し、初志を貫徹するために前後四年を費やして、その資産を蕩尽《とうじん》してもなお屈しないほどの熱心さであった。徳川幕府より僧侶《そうりょ》に与えた宗門権の破棄と、神葬復礼との奥には、こんな人の動きがある。しかし世の中は変わった。その年、明治六年の十一月には、筑摩《ちくま》県|権令《ごんれい》永山盛輝《ながやまもりてる》の名で、神葬仏葬共に人民の信仰に任せて聞き届ける旨《むね》はかねて触れ置いたとおりであるが、今後はその願い出にも及ばない、各自の望み次第、葬儀改典勝手たるべしの布告が出るほどの時節が到来した。木曾福島取締所の意をうけて三大区の区長らからそれを人民に通達するほどの世の中になって来た。これは半蔵にとっても見のがせない機会である。彼は改典の事を共にするため、何かにつけての日ごろの相談相手なる隣家の主人、伊之助を誘った。
菩提寺任せにしてあった父祖の位牌《いはい》を持ち帰る。その塵埃《ほこり》を払って家に迎え入れる。墓地の掃除も寺任せにしない
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