れ、寺の境内を今度の式場にあてるための準備もすでにほぼ整えてあること、墓地の譲り渡し等にも寺としてはできるだけの便宜を払ったことを勝重らに告げ、茶菓なぞ取り出していんぎんに二人の客をもてなした。そして、例の禅僧らしい沈着な調子で、勝重らに聞いてもらいたいことがあると言い出した。半蔵があんな放火を企てたのは全くの狂気《きちがい》ざたと考えるかと二人に尋ね、和尚にはそうばかりとも思われないと言うのであった。どうして松雲がそんな疑いを抱《いだ》くかというに、平田門人としての半蔵が寺院ももはや無用な物であるとの口吻《こうふん》をもらしたのは晩年にはじまったことでもなく、上は諸大名から下は本陣、問屋、庄屋、組頭、それから五人組の廃された当時、すでにすでに半蔵はその考えを起こしていて、僧侶《そうりょ》もまた同じように廃さるべきものとしたろうと松雲には想《おも》い当たるからであった。松雲は半蔵の創立した敬義学校に事を共にして見て、この寺の本堂を児童教育の仮教場にあてた際に、早くも半蔵の意のあるところを感知したのであったという。これは全く廃仏を意味する。また、全くの白紙に帰って行くことを意味する。信教自由の認められて来た今日、こんな山の上の寺を焼き払うような挙動は、子供らしいと言えばそれまでだが、しかしその道徳上の効果はちいさいとは言いがたい。半蔵のはそれをねらったものではなかろうか。もともと心ある仏徒が今日目をさますようになったというのも、平田諸門人が復古運動の刺激によることであって、もしあの強い衝動を受けることがなかったなら、おそらく多くの仏徒は徳川時代の末と同じような頽廃《たいはい》と堕落とのどん底に沈んでいたであろう。半蔵は例の持ち前の凝り性と感情とに駆られて、教部省のやり口に安んじられず、信教自由をも不徹底なりとして、ついにこんな結果を招いたものとしか思われない。これが松雲一流のにらみ方であった。そういう和尚は半蔵のために、もうすこしでこの寺の本堂を焼かれようとした当面の人であるだけに、半蔵の不思議な行為を謎《なぞ》としてのみ看過《みす》ごすことはできなかったと訴えるのであった。もっとも、松雲は今までだれにもこんなことを口外する人ではなかった。半蔵の死にあって見て、勝重らにこれを告げるのであるという。その時、勝重は眉《まゆ》の白い和尚の顔をしげしげと見つめて、
「和尚さま
前へ 次へ
全245ページ中240ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング