ぐいだ。この人から見ると、故寛斎老人が生前によく半蔵のことを言って、半蔵の一本気と正直さと来たら、一度これが自分らの行く道だと見さだめをつけたら、それを改めることも変えることもできないのがあの半蔵だと評した言葉も想《おも》い当たる。景蔵、半蔵、この二人は維新後互いに取る途《みち》も異なっていた、あれほど祖先を大切にする半蔵がその祖先の形見とも言うべき万福寺本堂に火を放とうとしたというは、その実、何を焼こうとしたのか、平田同門の旧《ふる》い友人にすらこの謎《なぞ》ばかりは解けなかった。


 しかし、座敷牢へ落ちて行くまでの半蔵が心持ちをたどって見ようとするものも、この旧い友人のほかにない。景蔵は勝重のような後進の者を前に置いて、何もおおい隠そうとする人ではなかった。彼に言わせると、古代復帰の夢想を抱いて明治維新の成就《じょうじゅ》を期した国学者仲間の動き――平田|鉄胤《かねたね》翁をはじめ、篤胤《あつたね》没後の門人と言わるる多くの同門の人たちがなしたこと考えたことも、結局大きな失敗に終わったのであった。半蔵のような純情の人が狂いもするはずではなかろうかと。
 平素まことに言葉もすくなく、口に往時を語ろうともせず、ただただあわれ深くこの世を見まもって来たような景蔵からこんなに胸をひろげて見せられたことは、ちょっと勝重には意外なくらいだった。年老いたとは言いながらもまだ記憶の確かなのも景蔵だ。勝重はこの老人をつかまえて種々《さまざま》なことを問い試みようとした。たとえば、民間にいて維新に直面した景蔵のような人は実際この大きな変革をどう思っているかの類《たぐい》だ。その時の景蔵の答えに、維新の見方も人々の立場立場によっていろいろに分かれるが、多くの同時代の人たちが手本となったものはなんと言っても大化《たいか》の古《いにしえ》であった。王政復古の日を迎えると共に太政官を置き、その上に神祇官《じんぎかん》を置いたのも、大化の古制に帰ろうとしたものである。人も知るごとく、この国のものが維新早々まッ先に聞きつけたのは武家の領土返上という声であったが、そればかりでなく、僧侶《そうりょ》の勢力もまた覆《くつがえ》さなければならないと言われた。この二つの声はほとんど同時に起こった。というのは、彼ら僧侶が遠く藤原《ふじわら》氏時代以来の朝野の保護に慣れて、不相応な寺領を所有するに至った
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